たとえばなし

偶像と結果論

推しさんの自主企画が受け付けない話

いやまあ私が受け付けなくても一切困らないと思うしそれは全然よくて、好きなことやったらいいな~とは思うんですけど、この約三か月くらいずーっと消化不良でそろそろ体調に支障をきたし始めたのでアウトプットしておこうと思います。

例のごとく読む方を選ぶ記事なので、そこだけご留意ください~!(いつもだよ~!!)

 

 

 

 

ことの始まりは2020年4月1日。俗にいうエイプリルフール。

珍しい時間のリツイート通知にTwitterを開くと、そこにはcomming soon!の文字。

その下にはGt.等といったバンドでパートを表す記号と共にいくつかのTwitter IDが連なっていて、一番上に記されているのは紛れもなくこの5年半眺め続けてきた推しさんのIDでした。

 

結果から言ってしまえばこれはエイプリルフールのネタでもなんでもなくて、純粋にバンドの活動を始めますよ、というお知らせのツイートでした。

私は推しさんのファンとして過ごしてきたこの数年間、個人名義での音楽活動やYoutubeInstagramといったTwitter以外のSNSへの進出は、どこか縁遠いものだと感じていて。

それは今後も変わらずに続いていく感覚だと思っていたので、バンド活動をするなんていうのはまさに寝耳に水。

しかもそのメインフィールドはYoutubeで、いわゆる自主企画。

音楽だけに拘らずユニットとして色んなことをしていけたらだなんていうものだから、一気に世界がひっくり返ったような心地がしました。

 

私が漠然と推しさんは個人名義での活動をしないだろうと思っていた最大の理由は、本人がずっと人前に出る仕事や「声優」という職業から逸脱した仕事に苦言を呈していたからでした。

苦言といったら言葉は強いかもしれないけれど疑問を抱いていたのは過去のインタビューを読めば明らかで、キャラクターを背負ってのイベントで非難を浴びたことも正直少なくありません。

求めてくれる人がいるなら、と途中から前向きに考えるようになったと話していたこともあったけれど、根本的な考えが変わったと見られるような言動は私の見てきた範囲ではなかったように思います。まあオタクを名乗るのを辞めてからはそんなにガッツリインタビューとかをくまなく見ているわけではないのであれなんですけど……。

去年ナレーションの仕事がドッと増えた時、ゆくゆくは露出をゼロにしたいんだろうなとすら思っていたし、それは30歳になる近い未来の話だと思ってある種の覚悟もしていました。

だからこそ私は推しさんの歌の仕事を好きでいることに多少の罪悪感を感じていたし、不本意な仕事をしている推しさんを好きだと感じることに後ろめたさも感じていました。

そんな中で急に降って湧いた自主企画。

こんなのはオタク側の勝手な我儘だって分かっているけど、今まで私が感じ続けてきた罪悪感やこれ以上を望んじゃいけないと無意識下で諦めてきた感情はどこに仕舞い込めばいいんだろう。

別にこれまでの推しさんがそういうキャラクターを背負ったイベントで手を抜いていたとは思いません。その時に出来る最上級のものを見せてもらっていた信頼もあります。

でも、やっぱりそんなにすぐ感情は追いついてくれない。

 

声優でいながら音楽活動やYoutubeで活動をしている人全員を否定するつもりはありません。

ずっと歌手が夢だった人、自己表現の方法を模索して辿り着いた人、エンターテイメントを突き詰めている人。

そうやって色んな人が表現の発露として音楽を選んでいることも理解しているつもりだし、コロナ禍において活動の場を広げていく行動原理もわかります。

でもこの自主企画に関しては、どうにもそういう風に受け止めることが出来ない。

バンド活動と言えば聞こえはいいけれどレーベルから楽曲を出すわけでもなし、今のところアーティストでもなんでもない。そしてこの企画が動き出したのはコロナが猛威を奮うよりもずっと前の話です。

個人的に、もともとプロともアマとも付かない音楽活動に対して、若干の苦手意識があるから受け付けにくいというのもあると思います。身内の楽しい!という感情だけで観客を置き去りにする演者が苦手だから、拒否反応を示しているところも少なからずある。

それでもリリースされた音源では歌のみ担当、というのも個人的にはどうしても引っかかってしまうのが正直なところです。

だってこれは側から見たら、勘違いした声優たちの娯楽の延長に見えかねない。

っていうか正直私には現状そう見えてるから辛いです。

ここまで書くと某ラジオの二人組ユニットで歌うのはいいのかって言われそうなんですけど、私はあのラジオの公開収録やイベントも意図的に避けてきたタイプの人間なのでそのあたりはブレてない…つもり……。

 

でもなんか、それでもいいんだろうな。

ラジオや雑誌のインタビューを読む限り、「何にも囚われずにやりたいこと、楽しいことをする」ということに重きを置いているみたいなので、周りがどう思おうが別にいいんだと思います。

今までだってオタクやファンの存在が推しさんの活動に何かプラスの意味で影響しただろうと思えることはほぼないし、自分の力でどんどん前に突き進んでいく人です。

でも私は、役柄とかキャラクターというキャンバスに推しさんがどんな絵を描くのかを見るのが好きでした。

それが窮屈で、枷になっていたならやっぱり申し訳ないなと思うけど、じゃあ「役者」ってなんだろう。

結局、アイドルの真似事みたいなことが嫌だったんでしょうか。

でもこのコンテンツはオタクの推しさんへのアイドル視を、さらに加速させるものになるんじゃないのかなあと考えてしまいます。

 

去年、推しさんはある雑誌のインタビューで「ファンの人が自分に何を求めているのか分からない」と話していました。

そのインタビューを読んだときの私は何を求めているもくそも、ただ推しさんのお芝居が好きで、その演技を見ていたくてファンでいるだけなのになと思った記憶があります。

でも今の私は、逆に何を求めるのが正解なのかが分からずにいます。

 

 

私の中で推しさんは、いつだって結果論だけを見せてくれる人でした。

その結果に至るまでの努力や経過を語ることは少なくて、ただただ本人が突き詰めた結果だけを見せてくれる人。

だからきっと、こんなふうに先の見えないフレキシブルなコンテンツに自ら参加するだなんて、思いもよらなかったんだと思います。

でもそれは私が勝手に作り上げた偶像だから、それが崩れ去ることに対して文句を言うつもりもありません。

ただなんか、なんかなあ。

たぶん今の私は推しさんの書いた歌詞を読むよりも推しさんの演技を聞くほうが好きだし、音楽より演技で名前を売ってほしい。

今後推しさんの名前を出したとき、「あ、バンドやってる人?」と聞かれる未来があるのかと思うと結構辛い。

方向性の不一致、解釈の違いですかね。受け付けないなあと思ってしまう。ひとまず今の時点では割としんどいな、と思います。

 

 

もう10年以上も個人的に色んな思い入れを込めて使っていた「vanity」っていう単語にこんな意味合いが加わるだなんて思いもしませんでした。

ずっと胃も痛いしなんなら吐き気も催してるので、このコンテンツを追うのは向いてないんでしょうね。

ラジオも全部聞いたし雑誌も買ったけど、今後はもう少し距離を置いたほうがいいんだろうなあ。喜べない時点で購買層ではないし、推しさんの全部を追いかけようと思えるオタクであるわけでもないので……。

一応これでも誹謗中傷にはならないようにと言葉を選びつつ書いているので胸中の半分も吐き出せたかどうか微妙なんですけど、「じゃあ見なきゃいいじゃん」でしかないと思うので今後は自衛しながら生きていこうと思います。

 

 

 

推しさんが書いたという歌詞はあまりにも直球すぎて、私には推しさんのキャラソンみたいに見えました。

名前を呼ぶ声が聞こえる、ここでならやれる、俺は歌うぜ、かあ。

 

私はあくまで声優というフィールドで、推しさんの名前を呼んでいたつもりでした。

 

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