たとえばなし

偶像と結果論

幸せとか永遠とかの話

オタクの幸せってなんだと思いますか。

 

定期的にやってくるめんどくさいオタクのめんどくさい話のコーナーですよ。

オタクの幸せってなんだろう。

推しが売れること?認知?

いろんな幸せの形があって、きっと全部正解なんだと思います。

今まで色んなオタクをしてきて思うのは、私のオタクとしての幸せは自分のお仕事を望んでくれることがいちばんかもしれないなあと最近思います。

私は担ぎ上げたい系オタク出身なので、やっぱり「売れて欲しい!」「有名になってほしい!」「もっといっぱいきらきらしてほしい!」って思ってオタクになることがほとんどなんですけど。

オタクの身勝手だってわかっていても、それが本人も望んだ上であってほしいなあとどうしても思ってしまうんですよね。

 

いつかのブログにも書いてるんですけど、オタクって本当に身勝手な生き物じゃないですか。

自分の夢と他人の夢をすり替えて、時には押し付けてしまう。

その押し付けが、私は怖いです。

こうなってほしいっていう明確なビジョンがあるから応援ができるけれど、それがもし本人の望んでいないものなんだとしたら、自分には応援する理由がなくなってしまう。それがいつだって怖くて、怯んだこともあります。

タレント本人がどうなりたいかなんて、オタクがいくら考えてもわからないから。

だからいつだって応援する角度を見誤りたくないなあって思います。

 

推しさんが復帰して初めてのインタビュー。

そこには「『このまま声優のお仕事をできなくなるのは絶対に嫌だ』と思った」と書かれていました。

こんな幸せなことって、あるでしょうか。

「声優」という仕事の中に、自分の思い描いていたものとは違う仕事が含まれていることを分かってもなお、そう言ってくれる。そう願ってくれる。

それだけで、勝手に救われた気持ちになるなって思います。

私は推しさんの歌声も好きだから、ステージで歌う姿を見るたびに「嫌い(と直接明言しているわけではないけれど)な仕事をしている推しさんを好きで申し訳ないな」って思う。

いつだかTwitterで見たけれど、「オタクは自分が望まれないオタクであることを自覚するべき」って本当にその通りだなあって。

タレント本人に望まれてオタクやファンをしている訳じゃないって、いつでも肝に銘じておかなきゃいけない。

勝手に好きになって勝手に眺めてるんだから、干渉も邪魔もしちゃいけないし、したくない。

 

そういう意味で、今推しさんや元担くんが「今の仕事を続けていきたい」ということをはっきりと言葉にしてくれている事実は、自分にとって救いであり赦しだなって思います。

だからって何をしてもいいってわけではないし、特にこれといって何かしたいわけでもないんですけど。

好きでいることを許せるなあってぼんやり思います。

 

 

↓以下ちょっと論点が違う雑記

今年は本当に色んなことがありすぎて、周りのオタクがみんな病み散らかしてるから本当に世紀末だな~~~!!!って思うんですけど、きっと来年もそろってオタクしてるんだと思います。

オタクは、永遠を欲しがります。

推しさんにはできるだけ長く声優というお仕事を続けてほしいし、元担くんにはスポットライトを大喝采をいつまでも浴び続けてほしい。 

いつだってその終わりを意識することなんてできなくて、自分の胸を焦がした輝きが同じ色や温度でいつまでも燻って仕方ない。

過去の一瞬を切り取って、それを永遠にしたくなってしまうのもただの我儘だってわかってる。わかってるけど、その輝きをなかったことにもしたくない。

過去を過去としてきれいに割り切れたらいいけど、今はその過去があるからこそ存在するものだし、自分のだいすきだったものをまるっきり全部過去のものにしてしまうのは勇気がいる。

だから痛々しいくらい愛しい過去も、恐る恐る覗き込む今も、そして見つめてみたいこれからも。

自分の目で直接見たものを丸ごと愛してみたいなって思います。

 

 

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