たとえばなし

偶像と結果論

考えても仕方のないようなことの話

先日、バスに揺られながら美術館に行ってきました。

降車したバス停から美術館までは割と距離があったのですが、だんだんと春めいてきていることもあり、昔通っていたボーカルグループの曲を久しぶりに聞きながら、お散歩がてらのんびりと歩いて行きました。

普段雑踏の中にばかりいるので、緑いっぱいの公園の中をぐるりと歩くのも気持ち良かったです。学生の頃は毎日そんな景色しか見てなかったのになあ。

今年はゆるっとお花見とかも行きたい。レジャーシートを広げて桜の下で飲み会~みたいなのじゃなくて、桜並木をのんびりと歩きたいなあって毎年思うんですけど、なかなか難しいですよね。シャンシャンも見に行きたい。パンダ好き。

心豊かに過ごせるようになりたいものですね。近頃メンタルが悪い。

 

 

さて、なんでまた急に美術館に赴いたのかといいますと、推しさんが展覧会の音声ガイドでナレーションを務めていたからなんですけれども。そんな邪な理由で行く展覧会、なかなかに罪悪感がありました。

もともと美術館とかに行くのは好きだけど、社会人になってからは足が遠のいてしまって。いつぞやのミュシャ展ぶりの美術館でした。

音声ガイドって今回初めて使ったんですけど、結構こう……難しいですね。(恐竜博*1は行き損ねました)私が馬鹿なだけかな。

きちんと順番に見て順番に聞かなきゃ!っていう気持ちになるし、展示物の説明を読みながら別の音声を聞くっていう器用なことができないので、館内を回るのに普段以上に時間が掛かってしまいました。

あと分かってはいても、急に推しさんの声が流れてくるのびっくりする。余所行きの声だし……。っていうかやっぱり推しさんめちゃくちゃいい声なんですよね。N●Kとかでナレーションしてほしい。頼む国営放送。

推しの仕事を過剰評価するタイプのオタクなので、推しさんの声はこういうナレーションにも向いてるなあ、もっとこういうお仕事も増えたらいいなあなんて思いながら回っていました。

 

帰り道もバス停までのろのろ歩いてたんですけど、そこでふと思ったんです。

『もし、推しさんのお仕事がこういうナレーションのような、純粋な声だけのお仕事ばっかりになったとしたら。』

そうしたら今みたいに推しさんのお仕事を追うことも難しくなるのかなあ、とか。

なんというか、そういうお仕事ってアニメとかと違って、自ら積極的に情報を拾いに行かないと自分のアンテナに引っかからないじゃないですか。でも、それはあるべき姿な気もして。

声優って、本来は裏方稼業なんですよね。だから、こううまく言えないけど、声優さんにオタクが付くって異常なことなのかなあと思ったりなどした。

異常というか、コアって言ったらいいんですかね。本当ならこんなにフランクにオタク出来るような対象じゃないはずなんだなあって。

 

ナレーションや吹替みたいな、もともと目指していたような声のお仕事は増えてほしい。だけどやっぱりイベントで朗読してる姿だってたまには見たいし、推しさんの歌声も好きだから歌だって聞きたい。

でもそれって、「声優としての成功」とイコールなんだろうか。じゃあ、自分は推しさんにどうなって欲しいんだろう、なんて。どうしようもなく欲張りで、傲慢な疑問なんですけど。

まあ、推しさんはオタクの力なんて全然要らない人だし、自分の実力だけでどんどん前に進んでいくような人なので、全部杞憂なんですよね。考えるだけ無駄っていうか、無意味というか。

私や他のオタクが推しさんにどうなって欲しいかとか関係なく、推しさんがこちらに見せてくれるのはいつだって結果論だから。これが僕の仕事です、っていう「完成形」だけをいつだって見せてもらっている気がしてる。

 

外野から見える推しさんの「過程」って、全部「結果」の積み重ねなんですよね。それはたぶん推しさんだけじゃなくて、誰を推してたってそうだとは思うんですけど。

こんな言い方をしたら物凄く失礼だけど、発展途上の不完全なものを板の上で見せていたのなんて、本当にイベントに出始めてから最初の半年くらいのもので。

それが、いつの間にか本当に全部の「結果」しか見えなくなった。

努力や試行錯誤を滲ませることの方が少なくて、言ってしまえばその板に懸けた熱量も何もかも、パフォーマンス以外からは測れない。自分の「結果」に対する考察も、弁明も、何も見せないような人だっていつも思う。

だから次に見せてもらえる「結果」までの「過程」だって何も分からなくて。いつだって急に殴られてしぬ。ひどい話だ。

でも、それが推しさんの仕事に対する真摯さだって、ずっと思ってるんですよね。

 

推しさんを好きになって半年くらいの時、推しさんにどうなってほしいの?って聞かれたことがあって。その問いに対して当時の私は、「五年後も声優としてお仕事をしていてほしい」と答えました。

推しさんが新人賞を取ったとき、余りにも全てが急すぎて素直に喜べない自分がいて、その時は「いつか推しさんが助演、主演男優賞を取ったとき、素直に喜べるファンでいたい」と思ったんです。

そういうの、結局今も全部変わってないなって思います。

でも、推しさんの「もっと」が見たい。

そう思っている限り、たぶん細くても緩くても、推しさんのことを眺めてるんだろうなって。

 

なんか色々書いてたら何を考えてたのか分からなくなってきたので、もう無理やり終わろうと思うんですけど!本当、こういう考えても仕方のないことを頭で捏ね繰り回す癖もやめたい。ただのファンでしょ!

でもこうやって文章化することで私は私の考えを自認して、そこでやっと推しさんのお仕事が好きなんだなって自覚するんだ。

推しさんが見せてくれる「結果」を一つでも多く見てみたくて、今もこうして悪足掻きしてる。

それが、私の推しさんへの結果論だなあ。

 

*1:推しさんが音声ガイドで恐竜の子供?役をしてたやつ