たとえばなし

偶像と結果論

あれから

ぼんやりしたまま数日が過ぎました。

数日って言ったけどまだ2、3日しか経ってないんですね。もう一週間くらい前な気がするよ。

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このエントリーを書いたときの方が冷静だったのではなかろうか。今日とうとう仕事でポカをやらかして大いに凹んだので、色々吐き出しにきました。

この数日本当に色んな人から推しさんに関することで声を掛けてもらいました。前回のエントリーに星をくださった皆さんもありがとうございました。リア友からも連絡が来て申し訳ない顔をした。謎に私がお見舞いをいただいたりしてしまって(?)、そんなにも凹んで見えただろうか。私よりも他推しの周りの方が推しさんのことを信用していたり、心を割いてくれたりすることには純粋に感謝しています。

ここ数日何をしていたかといえば、推しさんに関するタイトルに触れるのがあまりに辛くて、ひたすらFGOをしながらレンタルしてきた元担くんたちのアルバムを延々と聞いています。離れていた時期が長いぶん聞くものも多くてありがたい。ちょうど元担くんの本を読んでまた少し触れてみようかなと思っていたタイミングではあったけれど、逃げ場みたいにしてしまっていることに罪悪感も感じています。ウン年ぶりにじゃにーずうぇぶとか登録しちゃったよ。驚きのスピード感。

それにしても本を読んで少し安心していたのに、この空白の数年間について掘れば掘るほど不安にしかならなくて不安です。こっちもか。なんなら推しさんのオタクをしていたのは安定を求めていたのかなとすら思ってしまった。今グラッグラですけどね。でもやっぱり「アイドル」をしている元担くんはきらきらしていて王子様だなあ。本を読み終えて、王子様じゃなくて一人の人間になったと思ってたんだけどな。その辺の話もまとめたくて書いてたんですけど……その矢先、だったので書き進んでないですね。とりあえず今は「今の」彼らと元担くんを知りたいなと思っています。知ってることよりも知らないことのほうが多くなっちゃったなあ。来週出るアルバムは買おう。

推しさんが休業って時にこんなよそ見をしているとか、オタクの風上にも置けない!って軽蔑されてもそうですねえ…としか言えないなあ。文章が書けているだけまだ元気だなあとも思うけど、たぶんつらつらと思考を流してないと何も出来なくなってしまう気がしているからかもしれない。話したい人ほど今自分のことで大変そうだったりするのでこう、甘えらないなとも思います。

いま推しさんのお芝居を聞くことが、あまりにも怖すぎる。「もうこのキャラクターを演じることはないかもしれない」ってどうしても考えてしまう。声帯って筋肉だから、3-4週間使わなかったら元に戻すのに半年は掛かるんですよね。自分にこういう無駄な知識があることも今は恨めしい。推しさんがいなくても、私の世界も業界も滞ることなく回っていく。そんな当たり前のことがこんなにも怖いなんて、馬鹿みたいだ。こんな時だからこそ、営業記事を書いた方が推しさんのお仕事に興味持ってもらえるんですかね。どうせだから秋アニメのおまとめ記事でも貼っておきますね。

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時期的なものもあって心がささくれ立ってるのがわかる。でも何処かそんな自分を俯瞰している部分もあって、いまものすごくアンバランス。そこまで気にしたこともなかったけど、なんだかんだ推しさんって私の生活基盤の一つだったんだなあ。去年の今頃は自分から距離を置いてたくせに何言ってんだ。みんなで待ってます!って言えるようなファンだったらよかった。生きてるだけでいいって言えるファンだったらよかった。世界に目隠ししちゃいたいね

 

世界の様子がちょっとおかしい

※ 完全に個人的な吐き出し用です。そのうち消すと思います

 

推しさんの所属事務所が、推しさんの休業を発表しました。

理由は入院・療養のため。復帰時期は今の所未定です。

来週末のイベントは出演の見送りが発表されましたが、来月以降のイベントは経過を見つつ決定に至るのか、はっきりとした告知は出ていません。

今期出演中の作品も、今の所降板・代役の発表などはされていません。

 

私がこの発表を知ったのは5月10日の12時過ぎ。コミックナタリーのtwitterアカウントで投稿された記事が、すぐに姉から送られてきました。

「?!」

記事の字面を眺めても、頭はきちんと理解していなくて。ただ指の先からスッと血の気が引いていくのだけがわかりました。

立て続けに送られてきたのは、事務所HPと、推しさんの病気に関する記事のスクリーンショット。その昔、元担休業時に過呼吸を起こしたことのある妹の扱いとしては、恐らく最善かつ迅速な対応。同じくオタクである姉は偉大です。当の私はと言えば自分でも病気に関して調べた上で、「後遺症が残った場合引退も有り得るなあ」とメッセージを返しました。かわいくない。

まず最初に思ったのは、「本人が一番しんどいだろうな」というありきたりなこと。
その次の思ったのが、「オタクないしファンが凹む権利なんてないな」ということ。

そう思うと涙も出なくて、ぽろぽろ出てくる言葉も冷静というか、他人事のような言葉。でも胃は痛むしここ数週間悩まされている咳喘息の悪化は感じる。完全に頭と身体が追いついてなかった。メンタルが弱い。

茫然自失の中、次々とTLに流れてくるエンタメニュース、各コンテンツからの休業に関するコメント。それから目を背けるようにしてお風呂に入ってみたりしたけれど(偶然にも仕事が休みでよかった)、色々と考えて現実味を帯びて、やっと涙が出たのは発表から三時間後でした。

 

 

正直、何を思うのが正解なのかはわかりません。

病気のことを調べた結果多くの場合は完全に回復することもわかったし、入院の期間もだいたい3〜4週間程度だということも知りました。でも、当たり前のことだけれど重症化すれば命の危険もある病気だということも知りました。

今まで、業界における保障された明日を心配したことはあったけど、命の心配をしたことなんてなかった。ぼんやりと他人事のようにそういうこともあるかもしれないなあ、程度に考えたことはあるけれど、こうして真面目に目の前に降ってきた現実として考えたことなんてありませんでした。

もう何年もオタクのことで何かあれば相談してきた人から「今回ばかりは何も言ってあげられない」と言われて、急にその状況が現実味を帯びてしまった。

何事もなかったかのように戻ってきてほしい。無理せずゆっくり休んでほしい。快復を祈ってる。どれも全部友人たちから言われた言葉です。まずは身体を休めること、病状が悪化しないことを願うのが、あるべき姿だとわかってはいます。

 

でも正直に言うと、私が怖かったのは、降板・代役の発表でした。

 

「絶対にその人じゃなければならない仕事」

そんなものは、存在しない。きっとそのことを一番分かっているのは推しさんだと思います。

あれだけの仕事量をこなしながら、神社でお仕事のご縁を願うような人です。声優という仕事を、「認められている感じが強い職業」だと語る人です。そんな人が、今のこのタイミングで休むって、どんな気持ちなんだろう。一介のファンごときが、測り知れるわけがない。

「休む」というのは「止まる」ということと同義で、でも業界が止まることはありません。端的に言ってしまえば、推しさんの休業を待ってくれるようなコンテンツはないんです。〇〇さんがしばらく休むって。じゃあこの仕事は後回しにしようか。なんて、普通の会社でも有り得ないことです。推しさんが休業するけど、この役は推しさんにしか出来ないから制作を遅らせよう、なんて、絶対に有り得ない。

無事に推しさんが戻ってきたとして、その時にお仕事はあるのか。その後も問題なくお仕事が出来るのか。少なくとも休業中のオーディションは受けられないし、復帰してもすぐに休業前と同じだけのお仕事がこなせるわけじゃない。

推しさんが全身全霊を掛けて演じると言っていた役も、もう推しさんの手を離れてしまっているかもしれない。でも最悪の場合、推しさんの意思ともコンテンツの意向とも関係なく、それを演じることが出来なくなるかもしれない。

今の私は、それが一番怖くて、不安で、でも私なんかがそれを不安に思ったりする権利なんてなくて、何を思うべきなのかわからない。

 

病気に関して調べた人には心配しすぎだよ、と笑われるかもしれません。推しさんが復帰したあと、心配しすぎだったなあって笑い話になればいいとも思う。

でもこう、同業者の方たちのツイートを見ていると「ああ思ってるより経過悪いんだろうな」と思い至ってしまってファボすらつける気にならない。いいね!じゃねえ全然よくない。

みんな心配してくれてて感動…私まで涙出てきちゃった…とか全然ない。何の感動なのか教えてほしい。私たちも頑張ります!って何を頑張るの?代役は○○さんがいいです!って公式にリプライしてるアカウント、まじで意味がわからない。

当日は自分今めちゃくちゃ扱いづらいオタクな自覚ある〜〜!!って自意識で過ごしてたんですけど、友人や職場の人からも連絡がきて申し訳ない気持ちがすごかったです。特にこう、他推しかつ私の性格を熟知しているような人たちは冷静に状況を整理して言語化してくれるので、あの、ありがとうございました。思ってるよりこいつ元気やんけ、って思われてるだろうなあと思うような場面も多々有りましたが、いつものごとく自分の感情に疎いだけという噂もあります。

めちゃくちゃ私事なんですけど、入院とかそういうの、いろんなトラウマが刺激されるので作中で推しキャラが入院したりするだけでも本当にメンタルにくるんですよね。つまり:わりといましにたい

そんなことを考えていたら、twitterのプロモーションで東京自殺防止センターさんのツイが流れてきてすごいなと思いました。あと、推しさんのことがLINEニュースにまでなっていたの不意打ちがすぎてヒュッてした。ヒュッて。

とりあえず今日はお酒を飲んで寝ます。

 

 

元担くんの声帯のこととか、その前の担当グループのメンバー脱退とか、ここ数ヶ月すでに色々あったけど。なんだか本当に、世界の様子がちょっとおかしい。

さっき少しだけ外に出たけど、世界の色すら違って見えた。

なんだか本当に、ちょっとおかしい。

 

感じ取りたいこと知りたいことと、答え合わせの話

一つ前のエントリーで「推しさんの表現をきちんと受け取れているか不安><」みたいなことを書いたんですけど(参照)、タイムリーにQに対するAみたいなインタビュー記事が上がっていたので備忘録。

 

www.animatetimes.com

全三回に渡り記事になっているこのインタビュー。初回は作品のこと、第二回目は監督のこと、そしてこの第三回目では声優としてのお仕事の話。

雑誌を買わなくなってから*1、せめてとネット記事のインタビューはできるだけ読むようにしています。

誌面よりも自由が効くのか、主題の作品の話とは別に、仕事面のパーソナルな話まで掘り下げられている記事が意外と多い気がする。

この記事もまた然り。声優としてキャラクターを演じる時の角度みたいなお話がすごく印象的でした。

 

僕は「声優としてそれぞれのキャラクターの人生を味わっている」。例え私生活が平凡でも、この仕事をしているから楽しく生きていられるというか。ここに一番楽しみにを感じているんだと思いますね。

他人の人生を生きる。普通じゃあり得ないことです。『パンドーラ』もそうですけど、「B.R.A.I」と戦うなんて普通に生きていたら経験できないことですし。

でも、役を演じている時には、その世界の住人になっているのでそれができる。

『重神機パンドーラ』前野智昭さん×梅原裕一郎さん対談#3 | アニメイトタイムズ

声優としてのスタンスを問われ「自分以外の誰かになりたくて仕方がない」と答えたまえのさんに対し、「キャラクターの人生を味わっている」と答えた推しさん。

この返答の違いだけでも興味深いですが、イベントなどで見せる自身が演じているキャラクターとの距離感みたいなものの違いも、ここに表れているのかなと感じました。

まえのさんはどちらかと言えば、"キャラクターを憑依させる"タイプ。

個人的にこの括りに入るのはさいとうそうまさん、すわべじゅんいちさんあたり。「演者」と「キャラクター」の境界が曖昧になって、「キャラクター性」がまるで「演者本人の性質」かのように見せるタイプだと思います。

数年見てきた結果、推しさんはその括りには入らないと前々から思っていたのですが、同じようなことを以前にも書いていたのでひっぱってきてみました。

自分自身にキャラクターを降ろすことはないけれど、ほんのすこしキャラクターとの共通項を滲ませるところが好きだと思う。

-中略-

鷹城恭二という人間と、彼は少しだけ似てるなってたまに思う。
何食わぬ顔で佇む花のような厳かさ、そこに秘められた静かな熱量が赤く透ける瞬間。

そういう、性格とか外見とかっていう分かりやすいアイコンじゃなくて、なんというか形容しがたい、ステージ上での存在感が似てる気がする。

後悔した話 - たとえばなし 

この「自分自身にキャラクターを降ろすことはないけれど、ほんのすこしキャラクターとの共通項を滲ませるところ」という部分。引用元のエントリーではエムマスでのことを指しているけれど、この感覚はエムマスに限ったことではなくて。

こういう、キャラクターに対して俯瞰しているタイプはとりうみさんとかかなあ。若手ではあまり見ない気がします。あまりにもキャラクターとして表舞台に立たされる機会が多いからだろうか。

推しさんはいつだって推しさんとしてステージに立っていて、アニメイベントで朗読をしているときも、その姿にキャラクターが重なることはほとんどありません。*2

それでも、そこで描かれている物語は間違いなくキャラクターたちの人生のワンシーンで。そんな絶妙な距離感は、キャラクターの人生を"生きている"のではなく、"味わっている"と表す推しさんのスタンスからくるものなのかなあと感じました。

 

もっと言えば、漠然とした感覚でしかなかった自分の認識に、輪郭をつけてもらえたような気すらした。

答え合わせが出来たと思った。

「?」が「!」に変わった瞬間だった。

そう思ったら、この間の朗読劇を観て感じていた不安も少し拭われた気がして、自然と涙が出た。安心したんだ、きちんと「何か」を感じ取れている自分に。

 

 

ちょうど昨日、元担くんが出した本を買いました。

その本の中に書かれていたのは、私が彼を応援していた頃に感じていた疑問や熱量への、答え合わせみたいな言葉たち。

その本を読んでいて気づいたけれど、元担にしろ今の推しさんにしろ、私の思考はいつも「なぜ」「どうして」という言葉ばかりが渦巻いている、と思う。

何を思って、そうしたのか。何を考えて、どう表現したのか。

自分がすきだと感じたパフォーマンスの裏に秘められたそれを知りたくて、感じ取ってみたくて、今も昔も何かを見つめ続けている気がする。

 

見せつけられる結果論に行き着くまでの過程や秘められた「何か」が知りたい、知った上できちんと結果論を享受したい。

「知りたい」と思うのは、「すきだから」なんだと思う。自分に働いた引力に、理由がほしいというか。

いつも偶像がすきだなんて偉そうに言っているけれど、本当はきらきらしたものの後ろにある泥臭さがすきなんだと思います。というか、泥臭さの上に成り立っている綺麗なものがすき。

あとはたぶん、私自身が何かを表現しようとした時に色んなものを詰め込むタイプだからかな。自分の表現したかった色を、人に感じ取ってもらえたら嬉しい。私の知らなかった自分の色を見つけてもらえたらもっと嬉しい。そんなことを考えていたことがあったからかもしれないなあ。

 

好奇心とか、知的欲求とか探究心とか。

私生活ではあまり動かない部分のくせに、そんな強欲さと傲慢さが、私のオタクとしての原動力であり、欠点でもあると気づかされました。うーん、相変わらずめんどくさいオタク。

でも基本的にその答えが見つかることっていうのはそうそうなくて。

だからこそ今、急に色んなアンサーをプレゼントされてしまって呆気にとられてる、っていうのがいちばんしっくりくるかもしれないです。

 

 

とまあ、色んなものが重なって数年前の自分や今の自分の答え合わせが出来た気がしたよって話でした。

元気があれば元担くんの本の話も記事にしたい。いつになるやら。

ここまでド深夜に下書き無しで書いているのでそのうち推敲します。

*1:全6ページで大特集!と銘打たれていた雑誌で4Pがグラビアだった時に心が折れて以来、本当に気になるもの以外買わなくなってしまった

*2:あくまで一個人の感想