たとえばなし

偶像と結果論

彼はきっとスポットライトの下で死んでしまう〜舞台「BACKBEAT」に寄せて

その時私の目には、彼の白い肌が、真っ白なスポットライトの光を吸い込んでいるように見えた。

そしてその光が増幅し、まるで彼自身が、光を放っているようにすら見えた。

 

 


www.backbeat-stage.jp

舞台「BACKBEAT」上演おめでとうございます。

初日に観劇してきたのですが、言語化しづらい感情ばかりが渦巻いて中々消化が出来ずにいます。ただ、この舞台が間違いなく戸塚祥太という人の代表作になるということだけは分かる。

約20曲の生のバンド演奏と、ビートルズ結成からデビューまでの光と闇が交錯するスピーディーな物語。

ジョン・レノン役の加藤和樹さんがご自身のTwitterでもお話されていたけれど、本当に「音楽をやってなかったらできない、でも音楽だけでもできない」そんな舞台でした。

 

 

 

「音楽」と「芝居」。それは私が知る限りで、戸塚祥太という人から切り離せないもので。

コンサートのソロコーナーではいつもギターを弾き、「上手くないけど好きだからやりたい」と話す。現にギターを弾いている彼は、いつも少年のような顔をしている。

私は、そんな彼がギターを抱えて青く澄んだ声で歌う姿がずっと大好きでした。

 

芝居について言えば、デビューして間もない頃、メンバーそれぞれが歌担当、ダンス担当と自己紹介していく中、彼だけが「特に何もやっていません!」と話したことがありました。けれどその数週間後の違う番組では、「作詞、芝居、何でもやります!」と言っていたのを今でもよく覚えています。

思えばこの頃から銀幕への憧れをよく口にしていたし、今やグループ内で演技班という立ち位置に落ち着いたのは、きっと彼の根気強さとか、そういうもののお陰なんだろうな。

 

だからきっと、この舞台はある一つの集大成みたいなもので。

ずっと好きだと公言してきたビートルズを題材にした舞台で座長を務めること。盟友である辰巳雄大さんと共演すること。

加藤和樹さんというジョン・レノンと出会ったこと。最高のビートルズと過ごすこと。スチュアート・サトクリフとして、生きること。

その全てが、彼の人生にとっての財産になればいいなと思う。

 

劇中の彼はとても生き生きとしていて、贔屓目はあれど「ハマり役だ」と思わざるを得ませんでした。

尊敬する友人と共に歩む歓びや、愛する人と人生を分かち合う歓び。音楽が持つ魔力的な快楽と、自らを表現し爆発させるための芸術の快感。恍惚、葛藤、悶絶。

そのどれを取っても、『俳優 戸塚祥太』の頬にひたりと手を添えたようなリアルさがあった。

ただ、その確かな感触は彼一人のものではなく、あの舞台の上に立つ役者全員の輪郭だった。深い闇と、鮮やかに赤い閃光。

私は確かにあの夜、東京芸術劇場に息衝いた五人のビートルズの熱に触れたのだ。

 

 

私は、戸塚祥太という人がスポットライトを浴びながら、まぶしそうに、うれしそうに、いとおしそうに客席を見上げる姿が好きで。きらきらと繊細に煌めきを反射させる姿が好きです。

その笑顔が、横顔が、後ろ姿が、この世のものとは思えないくらいに綺麗だから。

BACKBEAT」の第一幕は、戸塚くん演じるスチュアート・サトクリフが絵を描いているシーンで始まる。舞台上には彼一人が立っていて、大きなキャンバスに向かっているシーン。台詞らしい台詞はなく、ただ彼の息遣いだけが、劇場にひっそりと響いていた。

その時私の目には、彼の白い肌が、真っ白なスポットライトの光を吸い込んでいるように見えた。そしてその光が増幅し、まるで彼自身が、光を、放っているようにすら見えた。 

 

—彼はきっと、スポットライトの下で死ぬのだ。 

 

そう、唐突に思った。ステージが彼に恋をしなくても、彼はステージに恋い焦がれ、きっとその身を自らの火で焼いてしまう。

彼は以前担当していたダ・ヴィンチの連載の中で、「歌い、踊り、演じることに全てをかける」という言葉を残している。その言葉の意味を、私はこの瞬間に初めて理解したのかもしれない。

命が削れていく瞬間を、まるでコマ送りで見ているようだった。

そう思うほど、あの瞬間の彼は儚くて、美しかった。

 

 

僅かに赤い興奮を孕んだ熱気と、鳴り止まない拍手、スタンディングオベーション

ビー・バップ・ア・ルーラ!

3回目のカーテンコール、楽しげに肩を組んだ加藤さんから促されて彼が叫んだこの言葉を、私はきっと忘れない。たった一言だったけれど、それだけで十分すぎるほどに全てが詰まっていた。

ジョンとスチュが舞台の奥へと消えて客電が上がり、ほんの少し泣いた。

網膜に焼き付いた戸塚くんの笑顔は、とても綺麗だった。