たとえばなし

偶像と結果論

いつか夢の続きで会えますように

夢が叶う瞬間なんて、人生でそんなに何度もない。

でも私はオタクだから、他人に自分の夢を乗せながら生きている。

 

2019年8月9日、10日。また一つ、夢を叶えてもらった。

あのステージに立っていたのは紛れもなく私の好きな人で、初めてこの目で見るスポットライト越しの姿は、キラキラとした光が乱反射しているみたいだった。

そこにいる、息づいている、歌っている、目が合った。そんな馬鹿げたことを考えながら、頭の中で何度も「嘘だ、嘘だ」と繰り返し思った。

こんな世界を、私は知らない。まるで人気コンテンツのように振る舞う姿を、私は知らない。

好きな人が「そこ」に「いる」世界を、私は知らなかった。

壊れたみたいに泣きながら、好きになってからの日々が走馬灯のように流れた。

 

最初の夢は、ユニット曲だった。

やっぱり性癖としてソロのアイドルより、グループの方が好きだったから。

ユニット曲ができて少し経った頃、ダンサーさんたちが本人たちに扮して踊ってくれた。すごい、と思うと同時に、公式は舞台をやりたいんだろうなと思った。私は舞台を見に行ったことは未だにない。シンプルに2.5が苦手だから。

その次に叶った夢は、アニメだった。

このアニメを見たとき、これ以上なんてないと思った。夢を全部叶えてもらったと思った。

そんな中、後続のユニットや他のコンテンツが色々と進んでいくにつれて出てきたのが、「ヴァーチャルライブが見たい」という感情だった。

でもそれは夢と呼ぶにはあまりにも現実味を帯びていなくて、どうせ手に入らないおもちゃを指差して「いいなぁ、あれほしい!」と冗談混じりに言って母親の顔色を伺うような、そんな我儘みたいなものだった。

だから3月のAJで告知を聞いたとき、私は会場内の他のブースに居たにも関わらず、声を上げて泣いた。

うれしかった。嘘みたいだった。そんなまさか、と現実すらも疑った。

それから四ヶ月半が経ったいま、私はこの文章を打っている。

 

 

グッズを買うとか、会場に入るとか。何か一つアクションを起こすたびに泣いて、いつもの現場よりも念入りにしたはずのメイクはすぐになくなった。

公演中は本当にダメで、初回は最初から最後までずっと泣いてた。要所要所で急に泣き崩れるから、後ろや隣にいたお姉さんたちには申し訳ないことをしたと思っています!

スポットライトの中で歌う姿も、少し微笑みながらアイドル然とした振りを踊る姿も、私は初めてこの目で見たんだ。本当に、初めてだったから。

「夢みたいな世界だ」って、冗談抜きで思った。たぶん生まれて初めて、「生きててよかった」とすら思った。

うれしかったなあ。好きな人に会えて、うれしかった。「君の夢を叶えたいから」と歌ってくれるアイドルたちが、愛おしくて誇らしかった。

人に胸を張れるようなことなんてそんなにないけど、出会ってから六年間、変わらずに好きで居続けたことだけは胸を張りたい。私の好きになったアイドルたちは、こんなにも格好良く輝いてるんだよって世界中に自慢したかった。

 

 

終わりは、いつだって怖い。

「いつかこの声が」と歌われるたび、何度だって悲しくて泣いてしまう。

でも、それでも、世界でいちばん好きな人に会えた今日の日を、絶対に忘れたくない。

だから、夢の続きで会おうね。

 

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