たとえばなし

偶像と結果論

神様の寿命の話

私には、神様がいる。

 

 

 

この話における神様は宗教的なものではなく、人によっては架空のキャラクターであったりはたまた実在する人間であったり、コンテンツそのものであったりするような、所謂偶像の話です。

全知全能の神なんかではないけれど、それでも私の毎日の世界を象って、色づけて、大気を動かしてくれる、私の神様。

愛し、愛され、救われ、与えられている。

大袈裟かもしれないけれどそんな風に感じながら、毎日を生きています。

 

神様の消費期限、寿命を、考えたことはありますか。

私は最近、よくそのことを考えます。

 

 

神様の寿命は、人や状況によって変わってくるものだと思います。

自分の気持ちが離れるのが先か、神様がいなくなってしまう(例としては展開が終わる、活動が停止する等)ことが先か。

中には神様がいなくなってしまっても、自分の中に在り続けるだけでいいという方もいるでしょう。でも私は、自分はそんなに強くないと、自分で思うのです。

 

「今から五年後、神様は神様のまま居てくれているだろうか」

そんな答えのない疑問が、日々頭に浮かんでは消えていく。 

 

私は永遠を信じません。

「ずっと」も「絶対」も有り得ない。

自分の感情にも、神様の存在にも。少なくとも確実にどこかに「終わり」はあって、今日という日にも神様とのお別れに少しずつ近づいている。

神様に恋をしているから、どんな別れがくるかなんて分かりっこない。あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまうだなんて、どこかの歌詞みたいなことを考える。

私は重ねてきた過去を数えることよりも、未来を数えることの方が怖いと感じてしまいます。

重ねてきた過去は愛おしい。けれどこれからの未来はどうしたって儚く見えてしまう。知りもしない「終わり」に怯えて泣くことは、きっと馬鹿げている。

私は永遠を信じないくせに「永遠」に憧れて、どうしようもなく焦がれているのです。

私にとっての絶対でいてほしい、永遠であってほしい。ずっとを約束してほしいし、今だけはそう思わせてほしい。私の特別でいてよって、身勝手なことを思ってしまう。

 

最近、私の神様はきっと余命五年くらいだなあと漠然と思うようになりました。

神様の今までや、自分の年齢。色んな要素を持って計算したときに、長くてもあと五年が限度だなと思い至ってしまった。短かれば恐らく、あと三年くらい。

たぶん、そのことが私は悲しくて、悔しくて、なによりもひどくさみしい。

でもだからこそ、私はいまの自分がいつかの自分を裏切らないことをしたい。

神様を信じ続けるためにできることを全部したい。少なくとも「今」を「最後」にしたくない。神様が人に戻るとき、汚い未練を残したくなんてない。

それが綺麗事だとしても構いません。

でもそれくらい、私の精一杯で想っているよ。

 

ただ願うのは、一日、一秒でも長く私の神様でいてほしい。

たった一つ、それだけなんです。

 

 

 

いつも以上に抽象的な言葉の羅列で申し訳ありません。

一応お話しておくと世界が揺れている今日ですが、そのこととは関係ありません。タイムリーだな、とは思ったけれど。

ここ数日の自分の感情メモということでご容赦ください。

お題箱の返信は次のエントリーでさせていただければと思っております。(10月に送っていただいていたものの通知がきておらず、先日拝読しました……。申し訳ないです)

 

↓何かございましたらこちらまで。

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