たとえばなし

偶像と結果論

元担に担降りして過去が過去になった話

そもそも元担に担降りとは?という感じなのですが、その辺は一つ前のエントリーをご参照ください。

x1026.hatenablog.com 

推しさんが復帰してからお前アイドルのことばっかりじゃねえかって感じなんですけど、推しさんのことは明日きちんと考えるのでちょっと待ってください。

復帰後の推しさんを肉眼で見るためにも思考の整理をさせてほしい。っていうか本当に明日のオトパ出るの?もう少し休んでもよくない?しんどい

 

 

元担くんに出戻ろうと決めてから数日、劇的に何が変わったということはないけれど、決定的に変わったことが一つだけありました。

それは、“当時”の曲を”過去“の曲だと認識するようになったこと

論理的な話ではないし、ものすごく形容しがたいんだけれど、たぶんこの感覚は「記憶」が「思い出」に昇華されたのに近い気がします。

 

元担くんのグループはJr.時代の代表曲たちがCD音源化されていて、推しさん休業中にCDをレンタルしてきた私は、どちらかというとその元々知っていた“当時”の曲たちを再生する回数の方が多かったと記憶しています。

”私にとっての新しい曲“たちは本当に”知らない曲“で、なんとなく肌馴染みが悪かったんだと思います。

だから知っている曲ばかりを聞いていて、もちろん脳内で再生される映像もあの頃のものでした。それが、あまりにも鮮明で、色濃く自分の中に残っていて。

けれどこの数日は、その”当時の曲“たちの色が、ほんの少し薄く見えた。今思えばそれは思い出にしきれない「記憶」たちだったんだと思います。

それに対して、「ああ、もう全部昔のことなんだ」って、やっと実感することが出来た気がする。

一年前の記事で過去にできた気がするなんて言っていたけれど、全然過去になんて出来てなかった。

当時のことを知っているのはステータスでもなんでもなくて、なんだろう、例えるなら十字架みたいだなって思う。しっかり見つめ続けられなかった、その証みたいだなって今は思います。

 

 

ツアーラストの大宮で横浜アリーナの追加公演が発表されたとき、私は「すごいなあ」という他人事のような感想が先に出てきました。

だって私は、今の彼らの「当事者」ではないから。

横浜アリーナに立つ彼らを祝う資格も、喜ぶ権利も、何もないんだなって。それが分かっていてもやっぱり嬉しかったですけど!笑

そんな私が横アリまで行ってもいいのかなあという、ほんの少しの躊躇いが今もあります。

でももし行けたとしたら、私の横浜アリーナの記憶もきっと思い出になって、新しい景色で上書きされるんだろうな。それはやっぱり、少し見てみたいなあ。

 

それに変わってないこともたくさんあったけど、やっぱり変わっているものも多いなあと思います。

こんなにグループのことを大切に思うようになってるなんて、思いもしなかった。今度こそ私も好きにならないといけないなあ。

私も私で「王子様」じゃなくて、「一人の男の人の生き様」なんだなって思うようになった。

こうやって色んなものが書き換えられていくことが切ないけど、少しうれしい。

あの頃のことは本当に大切だったけど、もう一回、今度こそって思うなら。どうせなら新しいものを見ていきたい。すきになりたい。

「上書きされる」ということは、「今を見ている」ことと同義なのかもしれないですね。

 

 

これから先、何があっても私が彼らにとっての当事者になることは一生ないんだなあと思います。

勝手に当事者ぶるのはきっとすごく簡単なことだけど、それはあまりにもムシが良すぎるし、後ろめたさとか、そういうものが付いて回ってしまう。

だからこう〜〜元担に担降りしました!!って言っても、担当って名乗るのは烏滸がましいなあ…ファンだなあ……って思ってたりするんですけど。

 

だけどせめて、「目撃者」になれたら。

 

そんなことを、今はぼんやりと思います。

 

 

何かございましたらこちらまで

お題箱

 

はあ〜〜明日のイベント何も音沙汰ないけど本当に推しさん来るの?全然そんな心の準備できてない。はあ〜〜〜〜全然無理。ぜんっっっっぜんむり