たとえばなし

偶像と結果論

推しさんが退院した話

2018年7月30日、推しさんの退院が所属事務所公式HPにて発表されました。

入院・休養が発表された5月11日から80日。週で言えば11週と3日、月数で言えば2ヶ月と19日。約二ヶ月半ですね。なんだかもっと長かったように感じます。でもこれ以上延びていたら世間からは忘れられていたかもしれないなとも思います。

推しさんの退院を一番に知らせてくれたのは、実の姉でした。入院したときと同じように事務所のお知らせと併発していた病気の詳細のスクリーンショットが送られてきて、私もあの日と同じように気だるげに転がっていたベッドで少し泣きました。

 

ひとまずはお世話になったみなさんへ、本当にありがとうございました。

話を聞いてくれた人、代わりに言語化してくれた人、泣いているのをそっとしておいてくれた人、あたたかい言葉をかけてくれた人。どうしようもない散文を読んで、スターをつけてくださった方もそうですが、本当に周りに支えられた二ヶ月半でした。

そして推しさん、本当にお疲れ様でした。

推しさんが丁寧に積み上げてきたお仕事やその"証"たちを、私はこの二ヶ月半の間、きっとうまく掬い上げることはできていなかったけれど、それでも、色んな"愛"に触れた二ヶ月半でした。

諸先輩方のtwitterや、イベントでの気遣い、そして何よりも所属事務所の先輩のブログ*1。全部ぜんぶ、推しさんの"真摯さ"があってこそだったのではないかな、とファンは勝手に思っています。

 

この二ヶ月半の間、本当に色々なことを考えました。

まず第一に、ファンやオタクは心配すらもできないこと。第二に、広義な意味での水商売の不確定さ。「永遠」も「当たり前」もないこと。自分のオタクやファンとしてのスタンスの気付きもありました。

オタクをしていて必ず出会う言葉の中に、「推しはいつ居なくなるかわからないんだから、後悔をしないようにオタクをしなさい」という言葉があります。特に三次元のオタクを通ってきた人であれば一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

私はいつも、この「後悔をしないようにオタクをする」ってなんだかしっくりこないなあ、と思っていました。なんとなく、「会いに行けるときに会いにいく」とはまた違う気がして。でも今回推しさんの休業があって、何故私の中でその言葉がしっくりこないのかが分かった気がしました。 

まあ、このままなんですけど。基本的に私は推しさんにしろ推しコンテンツにしろ、"これから"とか"もっともっと"とか、今より先、今より上を見ていきたいタイプの人間なので、ああしておけばよかったこうしておけばよかったと思ったことはあまりない気がしています。

板の上の推しさんの熱量をうまく受け取れていない気がして、もっとちゃんとしておけばよかったかな、と思ったことはあったけれど、今回の休業でも、これならもっとイベント行っておけばよかったとか、もっとちゃんと追っていればよかったみたいなことは考えませんでした。それはある種、後悔をしないようにオタクをしている、その時の自分の選択を疑わずにいられているのかもしれないけれど、基本そんな大層なことは考えていません。オタクをするときは本能に従うのみです。理性を持ったらそこでオタクは死ぬ。

ちょうど先日、数代前の元担さんが「この世界に永遠なんてない」とはっきり言っていました。

その言葉を彼から聞くのはとても切なくて、遣る瀬なくて、でも説得力と切実さはこれでもかというくらいあった。きっとそれは本当で、真理であって、事実なんだと思った。「永遠」も「当たり前」も、それこそ当たり前にこの世界には存在しない。

ただ、それでもきっとだからこそ、彼らのことも、推しさんのお仕事も、私にはきらきらして見えるんだと思います。

 

今日、推しさんの退院を知って街を歩きながらふと、あのゲームにも声がつくのかな、代役の振替はいつかなと、"これから"のことを考えました。

この二ヶ月半考えていた"これから"は、復帰しなかったらだとか、後遺症が残ったらだとか、そういう色の暗い不安定で不確定な"これから"。でも今日からは、ほんのすこし約束された明るい色の"これから"を思い描けるのかな、と思ったら、やっぱりうれしかったです。

両手をあげてよかった!安心!嬉しい!やったー!!と、私は正直まだ言えません。

きっとまだ思うように身体は動かないでしょう。あれだけ鍛えていた頃と同じ声はすぐには出ないでしょう。声帯の筋肉を戻すのも、キャラクターの声を取り戻すのも、きっと外野が思うより多くの時間が掛かるでしょう。

ただずっと口にすることが憚られていた「待ってます」の言葉を、今日からやっと許せる、許される気がしています。おめでとうもおかえりなさいも、私が言うには烏滸がましすぎる言葉だから。 

だからせめて、待ってますの言葉の他に何か言っていい言葉があるのなら、「"声優 梅原裕一郎"を諦めないでくれてありがとうございます」と言いたいです。

だって私は声優の梅原さんのファンだから。休業している間もやっぱりただ生きていてくれたらいいとは言えなくて。どうしても、声優としてのお仕事を全うしている梅原さんを見ていたかったから、それを諦めないでくれてありがとうございますと言いたい。 

お疲れ様です。ありがとうございます。これからも楽しみにしています。

今も、今まで書いてきたファンレターやお渡し会のときも、いつだって私が推しさんに言える言葉はこれだけです。でも、それを寂しいとも悲しいとも思いません。タレントにファンができることなんて何もない。それでいいです。ファンができるのは享受することだけだけど、それでいいです。それがいいです。そこに推しさんが「推しさん」として居てくれたらそれでいい。それだけで、きっとファンは幸せです。

どうかこれからも、推しさんの夢が一つでも多く叶い続けますように。

そしていつか、バカげた私の笑い話*2を実現してもらえたら、それ以上のことはありません。

 

本当にお疲れ様でした。

声優というお仕事を手放さずにいてくださってありがとうございます。

これからのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

 

 

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