たとえばなし

偶像と結果論

降り積もった流星の光が溢れて 長い夜 道を示すから

世界は物凄く残酷で、でも酷く優しい。そんな話。

 

 

 

2018年6月17日、TSUKIPRO LIVE 2018 SUMMER CARNIVALに行ってきました。

自分の中でも特別で、だいすきなコンテンツの2年ぶりの合同ライブ。最っ高にたのしかったです!

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梅雨まっさかりの野外ライブということで、前日までは雨で中止になるんじゃないかとか、そもそも推しさんもいないしとか投げやりな気持ちにもなったけど、いざ蓋を開けてみれば真っ青な空が広がる晴天!

前日リハではストーブを焚いていたり、濃霧でステージが見えなかったという話もしていたので、本当に奇跡みたいな晴れ間だったようです。サンキュー富士急!!

 

新しくタイトルが発表されたとき、2年前のライブのとき。その頃はまさかアニメ化をして、こんなに大きな会場でライブをするようになるなんて思いもしませんでした。

それくらいにはこのコンテンツを見つめ続けてきた自負もあるし、良いところも悪いところもある程度理解しているつもりです。

だからこそ今回のイベントに、ステージに、「推しさんがいない」という事実をどうやって理解して受け止めたらいいんだろうってずっと考えていました。いまいち推しさんがいないことを理解しきれなくて、実感もなくて。コンテンツ自体を好きだという前提があるからこそ、余計に推しさんのファンとしての自分も辛くて。

けれど当日は推しさんのファンという自意識よりも、コンテンツのオタクである自意識のほうが強かったです。そして、そうあれた自分に対して安心もした。

折角イベントに行っても楽しめないんじゃ損だなって思うし、何より推しさんだけが作り上げるコンテンツ、ステージではないから。

その「ステージ」に対して、ファンとして、オタクとして真摯に向き合えたのはよかったかなと思っています。

 

昨今の二次元アイドルコンテンツにおいて、声優自身がパフォーマンスをしてくれるライブイベントは、もはや当たり前になりつつあります。けれどそれは当たり前のことなんかではなくて、間違いなく「オタクが報われる瞬間」なんだと今回強く感じました。

ツキプロのライブはMマスとは切り口が異なるので、あくまでステージに立っているのは"声優"である「演者」なんですよね。キャラクターとしてではなく、キャラクターを背負って?冠して?その舞台に立っているというか。それを良しとしないファンの方もいるかもしれません。キャラクターとして立ってほしい、キャラクターを見に来たのに、演者の名前を呼ばないでほしい。声優のファンではなく、キャラクターのファンだからこそ感じることも色々あると思います。

それでも、運営も演者もコンテンツを、キャラクターを愛してくれること。それがあるからこそ実現できる、"夢のような"ステージなんですよね。夜の部の最後、あっという間に日が落ちて、昼の部ではわからなかったペンライトや照明が光る中での全体曲を聞いている間、目の前がきらきら輝いて、本当に夢みたいだった。

すきでいてよかった、応援してきてよかった、追い続けてきてよかった。そう思えた瞬間、間違いなく私の数年間は報われました。

しんどいこともたっっっっくさんあるし、何度も泣いたし、何度も「もうオタクやめる!!」って騒いだけど。たくさんの夢をひとつずつ叶えてくれるこのコンテンツが、私は本当にだいすきなんだと思います。

そして何より、そのコンテンツに三次元の推しである推しさんが出演してくれている。そんな奇跡みたいなこと、きっともう二度とない。

そう思えただけでも、今回多少無理をした甲斐はあったなって思います。

 

 

ここからは、推しさんのファンとしての話。

今回のライブで一番に感じたのは、推しさんにとって帰る場所・変わらない場所があるという安心感でした。

 

イベントが始まる前までは連日の様々なキャスト変更の発表に完全に気持ちも折れていて(一個前のエントリでは病み散らかしてすみませんでした)、何のために観に行くんだろうって思ったりもしました。

3人でユニットとしてカメラに抜かれたとき、推しさんのキャラクターが画面に映るとき。そのたびに何度だって「なんでここに推しさんはいないんだろう」って思って泣きました。本当に寂しくて寂しくて、悔しくて、さみしかった。

そんな中、何度でも役名と名前を呼んで、「4人揃って」と繰り返してくれる共演者のみなさんに、どれだけ気持ちが救われたかわかりません。

メンバーの手につけられた、推しさんが演じているキャラクターのラバーバンドやリングライト。声色を変えて代わる代わる歌われる推しさんのパート。その場にいないのに置かれるプレゼントボックスや、流れるCV画像。「必ず届けます」の言葉も、フルネームで名前を呼んでくれることも。

ラババンやリンラに関してはキャスト陣の意向ではなく、運営側が用意したものかもしれない。けれどもしそうだったとしても、それでも、溢れて止まないほどに愛に満ちていたと思うんです。

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ユニットカラーの赤にちらつく青を纏った3人の並んだ姿を見て、ああこれが愛なんだなってなんとなく納得をしてしまった。例えが下手くそかもしれないけれど、防衛部のイベントを観ているときと似たような感覚になったんです。だから、愛なんだって思ってしまった。

そして言い方は悪いかもしれないけれど、4人揃わないと成立しない楽曲たちを歌っていたことをまざまざと見せ付けられて、安心したのかもしれない。足りない音を聞いて、帰るべき場所を見つけられた気がした。ここに推しさんがいなくちゃおかしい、いなくちゃいけないって迷いなく思えた。

それが、いまは痛いほどうれしくて。

「3人でも大丈夫だよ、だからがんばってね」じゃなくて、「3人でがんばるよ、だからがんばってね」。

勝手な思い上がりだなんて知っているけれど、そんなことを言ってくれているようにすら感じました。

 

推しさんが復帰したときに、いくつ仕事が残ってるんだろうと思ってた。

仕事に選ばれるのは、仕事ができるのは必要とされているということだから、と話していた推しさん。だからこんなの、まるで必要とされてないみたいだって泣いたりもした。

でも間違いなく推しさんを待っている人たちがいて、帰る場所がここにある。

もちろんこのコンテンツ以外でもそれを感じさせてくれるタイトルや同業者さんもたくさんいます。けれど今回それを肌で感じられたのは、今の私にとってこれ以上ないくらい意味のあることだったなって思います。

 

 

あの青空の下、だいすきなコンテンツを掲げたあの大きなステージで、あのメンバーと一緒に、いつもみたいに急に聞いたことのないような声で歌う推しさんが見たかったのも本当。

本音を言っていいならソロ曲に驚きたかったし、想像の先を見せてほしかった。苦手なのも知っているけれど、それでも堂々とステージの真ん中で歌う推しさんが見たかった。行き場のない青いペンライトじゃなくて、きちんと向ける先のある青い光で客席を灯したかった。

当日は色んな人に気を遣わせて、自分でもすごく扱いづらかったと思います。推しさんのいない舞台を目に焼き付けるんだなんてきれいなことを言うには余りあるくらい、いろいろ拗らせすぎてしまった。

でも、だけど、それでも本当に行ってよかった。たのしかった、うれしかったです。 

 

心から、ありがとうございました。

 

 

 

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