一つ前のエントリーで「推しさんの表現をきちんと受け取れているか不安><」みたいなことを書いたんですけど(参照)、タイムリーにQに対するAみたいなインタビュー記事が上がっていたので備忘録。
全三回に渡り記事になっているこのインタビュー。初回は作品のこと、第二回目は監督のこと、そしてこの第三回目では声優としてのお仕事の話。
雑誌を買わなくなってから*1、せめてとネット記事のインタビューはできるだけ読むようにしています。
誌面よりも自由が効くのか、主題の作品の話とは別に、仕事面のパーソナルな話まで掘り下げられている記事が意外と多い気がする。
この記事もまた然り。声優としてキャラクターを演じる時の角度みたいなお話がすごく印象的でした。
僕は「声優としてそれぞれのキャラクターの人生を味わっている」。例え私生活が平凡でも、この仕事をしているから楽しく生きていられるというか。ここに一番楽しみにを感じているんだと思いますね。
他人の人生を生きる。普通じゃあり得ないことです。『パンドーラ』もそうですけど、「B.R.A.I」と戦うなんて普通に生きていたら経験できないことですし。
でも、役を演じている時には、その世界の住人になっているのでそれができる。
声優としてのスタンスを問われ「自分以外の誰かになりたくて仕方がない」と答えたまえのさんに対し、「キャラクターの人生を味わっている」と答えた推しさん。
この返答の違いだけでも興味深いですが、イベントなどで見せる自身が演じているキャラクターとの距離感みたいなものの違いも、ここに表れているのかなと感じました。
まえのさんはどちらかと言えば、"キャラクターを憑依させる"タイプ。
個人的にこの括りに入るのはさいとうそうまさん、すわべじゅんいちさんあたり。「演者」と「キャラクター」の境界が曖昧になって、「キャラクター性」がまるで「演者本人の性質」かのように見せるタイプだと思います。
数年見てきた結果、推しさんはその括りには入らないと前々から思っていたのですが、同じようなことを以前にも書いていたのでひっぱってきてみました。
自分自身にキャラクターを降ろすことはないけれど、ほんのすこしキャラクターとの共通項を滲ませるところが好きだと思う。
-中略-
鷹城恭二という人間と、彼は少しだけ似てるなってたまに思う。
何食わぬ顔で佇む花のような厳かさ、そこに秘められた静かな熱量が赤く透ける瞬間。そういう、性格とか外見とかっていう分かりやすいアイコンじゃなくて、なんというか形容しがたい、ステージ上での存在感が似てる気がする。
後悔した話 - たとえばなし
この「自分自身にキャラクターを降ろすことはないけれど、ほんのすこしキャラクターとの共通項を滲ませるところ」という部分。引用元のエントリーではエムマスでのことを指しているけれど、この感覚はエムマスに限ったことではなくて。
こういう、キャラクターに対して俯瞰しているタイプはとりうみさんとかかなあ。若手ではあまり見ない気がします。あまりにもキャラクターとして表舞台に立たされる機会が多いからだろうか。
推しさんはいつだって推しさんとしてステージに立っていて、アニメイベントで朗読をしているときも、その姿にキャラクターが重なることはほとんどありません。*2
それでも、そこで描かれている物語は間違いなくキャラクターたちの人生のワンシーンで。そんな絶妙な距離感は、キャラクターの人生を"生きている"のではなく、"味わっている"と表す推しさんのスタンスからくるものなのかなあと感じました。
もっと言えば、漠然とした感覚でしかなかった自分の認識に、輪郭をつけてもらえたような気すらした。
答え合わせが出来たと思った。
「?」が「!」に変わった瞬間だった。
そう思ったら、この間の朗読劇を観て感じていた不安も少し拭われた気がして、自然と涙が出た。安心したんだ、きちんと「何か」を感じ取れている自分に。
ちょうど昨日、元担くんが出した本を買いました。
その本の中に書かれていたのは、私が彼を応援していた頃に感じていた疑問や熱量への、答え合わせみたいな言葉たち。
その本を読んでいて気づいたけれど、元担にしろ今の推しさんにしろ、私の思考はいつも「なぜ」「どうして」という言葉ばかりが渦巻いている、と思う。
何を思って、そうしたのか。何を考えて、どう表現したのか。
自分がすきだと感じたパフォーマンスの裏に秘められたそれを知りたくて、感じ取ってみたくて、今も昔も何かを見つめ続けている気がする。
見せつけられる結果論に行き着くまでの過程や秘められた「何か」が知りたい、知った上できちんと結果論を享受したい。
「知りたい」と思うのは、「すきだから」なんだと思う。自分に働いた引力に、理由がほしいというか。
いつも偶像がすきだなんて偉そうに言っているけれど、本当はきらきらしたものの後ろにある泥臭さがすきなんだと思います。というか、泥臭さの上に成り立っている綺麗なものがすき。
あとはたぶん、私自身が何かを表現しようとした時に色んなものを詰め込むタイプだからかな。自分の表現したかった色を、人に感じ取ってもらえたら嬉しい。私の知らなかった自分の色を見つけてもらえたらもっと嬉しい。そんなことを考えていたことがあったからかもしれないなあ。
好奇心とか、知的欲求とか探究心とか。
私生活ではあまり動かない部分のくせに、そんな強欲さと傲慢さが、私のオタクとしての原動力であり、欠点でもあると気づかされました。うーん、相変わらずめんどくさいオタク。
でも基本的にその答えが見つかることっていうのはそうそうなくて。
だからこそ今、急に色んなアンサーをプレゼントされてしまって呆気にとられてる、っていうのがいちばんしっくりくるかもしれないです。
とまあ、色んなものが重なって数年前の自分や今の自分の答え合わせが出来た気がしたよって話でした。
元気があれば元担くんの本の話も記事にしたい。いつになるやら。
ここまでド深夜に下書き無しで書いているのでそのうち推敲します。