たとえばなし

偶像と結果論

声豚だってキャラクターに恋をする話

最近、よく耳にする言葉がある。


「声優=キャラ」


端的に言えば

"キャラクターとそのキャラクターを演じている声優を同一視していること"

あるいは、

”特定の声優が演じているからという理由だけでキャラクターを好きになること”

である。(たぶん)

この言葉は大抵キャラオタさんのtwitterのツイフィールなんかに書かれていて、「声優=キャラ、歴=愛、グッズ量=愛という考えの方お断り」なんていうのが常套句になっていたりする。

こういう決まり文句を見る度に、好きでいた期間、いわゆる歴は間違いなく愛なんじゃないのかな、と個人的には思ったりするけれど、それはまあ今回置いておこう。

なんでいきなりこんな話題を引っ張り出してきたのかと言えば、キャラオタでも声豚でもある身の上、どちらの主張も分かりはするけれど、まあちょっと声豚の話も聞いてくださいよ、と。

だってこういうのって同じ考えの人達で集まってぎゃーすか言っても仕方ないじゃない。かと言って考えの違う人間同士で言い争っても仕方ないんですけど。こっちにもこっちの事情というか、性質と言いますか、別に何も考えずにオタクやってるんじゃないんだよなあ、と思う訳です。


そう、言うなれば こっちも遊びでオタクやってない。


正直私もキャラオタだけやってた頃は、特定の声優さんが声を当てているキャラクターを須らく推している人を見る度に?と思っていたのでお互い様なんですけど。

でも声豚になった今なら分かることもあるなあ、と思うので戒めのためにも書いておこうかなと思った次第です。

あ、先に断っておくと私は議論がしたくてこの記事を書いた訳ではないので、感情的な文章と主張が多分に含まれます。予めご了承くださいね。

あとここでこんな話を書いたところで、イケメン声優のオタクがなんか自分のこと正当化してるわ~程度にしか取られないんだろうなと思うんだけど、あえてここで供養させてください。

 

さて。

まず、キャラクターとキャラクターを演じている声優さんの同一視。

これって相当器用じゃないとできないと思うんですけど私だけなんでしょうか。まあ作品によってはできないこともないとは思うけれど、それはある種、制作側の意図みたいな部分もあるのではないかなあとか思ったりするわけです。

声優さんを追ったことのある人であれば一度は経験したことがあると思うんですよね。「あれ?これって当て書き*1じゃない?」みたいなあの感覚。

実際、オリジナルアニメやオリジナルドラマCDなんかだとよくある現象な気がしているんですけどそんなことってないですか。お話が進むにつれてキャラクターが演者に寄ってきたり、キャラクターの紹介文になーんか既視感があったり。

そういうキャラクターに関しては程度同一視というか、演者を重ねて見てしまっても仕方ないのかなあと思うんですけどダメですかね。


あとよく言われているのが、アイドル系作品のライブで演者の名前を呼ぶのはNG、というもの。
これはちょっと個人的に不可解。

だってその舞台に立ってるのは演者ですよ・・・?

キャラオタさんには演者がキャラに見えているの?見えているのであれば、それは演者さんが表現豊かな証拠だから良いことだなと思うんですけど。そこで演者の名前を呼ぶ=キャラと声優を同一視してる!っていうのはあまりにも短絡的というか、横暴じゃあなかろうか。

じゃあキャラの名前を呼んじゃいけないのか、と言われればそんなことはなくて。どっちでもいいじゃん・・・!?ってことですよ。

公演中声優さんの名前を呼ばれて不愉快でした!っていうのも、キャラクターの名前を叫ばれて不愉快でした!っていうのもおばちゃんにはよく分からんよ・・・。後者はあまり見たことがないけども。

不愉快でしたと言われてもそこにいるのは・・・演者じゃないか・・・。まあ私は推しの名前とか叫ばないタイプの人間なんですけど。

別に同一視している訳ではなくて、その場にあるものを事実として受け止めているだけだと思うんですけどね。

 

そしてもう一つの、特定の声優さんが演じているから、という理由だけでキャラクターを好きになるということ。

これはね、本当に誤解だなあと思うんですよね。

確かに推しの声って絶対引力だし、なんだかんだそのタイトルの推しキャラって推しが声を当てているキャラクターになってしまったりするんだけど(ややこしい)、そんな理由だけでキャラオタ紛いなことなんて出来ないんですよ。

だって、その人が演じているキャラクターはそのキャラクターだけじゃないから。

バカみたいに特定のキャラクターのグッズを買ったりするのなんて、中の人が好きだっていう理由だけじゃ出来ないです、私は。

もちろん推しが声を当てているという理由は大きいし、前提みたいになってしまうところはあるけれど、声を大にしてこのキャラクターが好きです!って主張するのは、みんなそれ相応の理由があるからだと思うんです。その理由はそのキャラクターの声のトーンが好きだとか、もともと好きなタイプのキャラクターだとか、人それぞれだけど。

推しさんが出てるという理由で作品に触れて、その作品を好きになって、そのキャラクターの性格や在り方に惹かれて。

それでも、その"キャラクター"を好きなんだって言っちゃいけないんでしょうか。

 

 

私は、誰かの"好き"の形を否定する権利なんて、誰も1mmだって持っていないと思ってます。

分かるんですよ、中の人が好きだからこのキャラクターが好きなんでしょ?って思う気持ちも。私もそう思っていた時期があったから。

現に、声優さんだけで好きなキャラクター選んでない?と思うような方も稀にいます。

この声優さんが声を当てていればどんなキャラでも推す!グッズを集める!っていうのも間違っているとは思いません。だってやっぱり人気商売だから。それをキャラクターだけを好きな人が見た時にもやもやする気持ちもわかる。

でも、声優ファンである人間の全員が全員そうじゃないということを、ちょこっとでも頭の片隅に置いてもらえないかなって思うんです。

好きなキャラの声優さんと推している声優さんが一致している人の"好き"には熱量がない、なんて勝手な憶測で言われたくない。

それが率直な私の意見です。

 

しかもね、自分がそのキャラクターをキャラクターとして純粋に好きなら、その気持ちに自信を持ったらいいじゃない。申し訳ないけど、他人の考えを攻撃しないと自分の好きの形を正当化出来ないのかな、とすら思う。

というか、ああ、声が好きだからそのキャラが好きなのね。って流したらいいのになあと思うんです。何故わざわざ攻撃しようとするのか。そんなことに貴重な140字を割くくらいなら、その140字で如何に自分がそのキャラを好きなのかを語ってほしい。

声豚のくせに!私の方がこのキャラクターのこと好きなんだから!と言われても、正直ただ中の人を好きだという理由だけで推しはこのキャラかな~なんて言っている程度の声豚は、キャラオタさんと張り合う気もないし、アウトオブ眼中ですよ。何故なら土俵も違うし見方だって違うのに、競い合う必要なんてないじゃない?

あと自分が何をされた訳でもないのに声豚はこうだから・・・とか言っているのを見かけると、申し訳ないけれど周りの人間が声豚しねみたいに言っているのに同調して、安心感を得たいだけなのかなあと思ってしまう。

なんかもうみんな挙って声豚しね声豚うざいってさあ・・・声豚に親でも殺されたの?彼氏寝取られたの?一回落ち着こう?声豚だって人間だよ!


まあそれは置いておいて、キャラオタが偉いみたいな風潮ってどうなんですかね。別に悪いことだと言っているわけではないんですけれども。なんかヒロイン好きな乙女ゲーマーが正しい!偉い!っていう風潮で夢厨が迫害されるのと同じ傾向。

声優=キャラの方お断り!私は一度もそのキャラと声優さんを同一視したことはありません!なんて言うけれど、声優さんに向かってキャラの名前を叫ぶのだって同一視の一種じゃないのか。

中の人目当ての人はイベントに来ないでほしい~って言われることもあるけれど、節子、そのイベントに出演するのはキャラクターちゃう、中の人や。


漫画とかで元々のキャラクター像がしっかりしていて、その頃からそのキャラクターを好きだった人が、アニメやらドラマCDで声が付いたときに声優さんから流れてきたファンに対して不快感を示すのは分かる。

けれど、企画発表時から声が付いているキャラクターにその言い分は適用されないと思うんですけどそこのところどうですか。

あらゆるコンテンツがに溢れ返っている昨今、企画発表当時から推している古参なんて大概声豚だぞ!!そうじゃない人もいっぱいいるけど!


あとね、声豚を嫌うのは勝手だと思うし別にいいけれど、それに乗じて演者の誹謗中傷を堂々と公共の電波に乗せるのは良識的に考えてどうなのかなあと思います。そういうことは鍵アカでやりましょうね。

あと余談なんですけど、声豚っていう表現は声豚自身が使う分にはそうだね~!と思うけど、それ以外の方が使われているのを見るとああなんてはしたない・・・みたいな気持ちになります。蔑称だもんね。

 

まあ結局何が言いたいかっていうと、中の人きっかけで作品に触れて、言うほどキャラにドはまりしていた訳じゃなかったのに、気付いたら推しよりもそのキャラの方が好きになっていて、結果的にイベントで推しと解釈違いを起こして錯乱した可哀想な声豚兼キャラオタだっているんだから優しくしてくださいってことです。

声豚だってキャラクターを好きになるんですよ、本当に。

*1:あて-がき【当て書(き)】 演劇や映画などで、その役を演じる俳優をあらかじめ決めておいてから脚本を書くこと。