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たとえばなし

きらきらのひとかけら

オタクをやめられない話

はきだめ

「オタク」っていう生き物はなんでこうも面倒くさいんだろう。

何かを好きでいることくらい何も考えずに気楽にいられればいいのに、勝手な義務感とか、意地とか、見栄とか理想とか。色んなものに雁字搦めになって勝手に疲れては離れてしまう。
そんなことを何度繰り返してきたんだろうなあ……と、もう人生の半分以上をいたるジャンルのオタクに費やしてきて改めてため息をついてしまいます。

とまぁ、何が言いたいかっていうとまたオタクに疲れて、サボって、それでもやっぱり離れられないのにサボっていた罪悪感に苛まれて出戻りに二の足を踏んでいるところなので、自分への戒めも込めて記事にしておこうかなと思った次第です。ほぼ一年ぶりの記事がこれだから本当に筆不精だなあ。

 

まず、私がオタクを離れる要因は大きく分けて三つに分類される。


ひとつはモチベーションの問題。

全部完璧に追えないなら全部追わなくても一緒だと思ってしまうのはなんでなんだろうな。完璧に出来ない=何もやらないの方程式はどこで身に付けたんだろう。
金銭的な問題はもう自分の頑張りとか采配次第なんだけれども、一時的な趣味のために職を変えるほどのバイタリティはもう持ち合わせてないし。なんかもうそういうところが甘えだと言われればそれまでなんだけど、オタクのお金のかけ方は自分の身の丈に合ったやり方が一番だと思ってる。

かといってオタクをしてるから自分にお金がかけられないっていうのも違うなって私は思うし、イベントに通うために推しのメディアが買えないんじゃ本末転倒だっていうのが持論。なんにせよ追うからには完璧じゃなくちゃ意味なんてないから仕事の都合とかで行けないイベントが増えるとなんかもう在宅でいいかと思っちゃうし、でもやっぱりオタクだから現場は行きたいしっていう我侭とジレンマで疲弊してしまう。これも結局はイベントに行きづらい職種に就いてる自分のせいなんだけれども。


もうひとつは周りのオタクとの温度差問題。

オタクのやり方なんて人それぞれだし、推しに何を求めるかっていうのも人それぞれだからそれに対してとやかく言うつもりはないけれど、やっぱり違和感はあって。
twitterとか現場で周りの話を聞いてるとなんかもうモヤモヤモヤモヤしちゃうのはもうどの界隈にいても一緒だなあ、と。

そういうのに疲れちゃうから基本的に同推しの友人が作れないっていうのはある気がする。今は奇跡的にお互いの考えを尊重して一緒にイベントに行ってくれるおともだちもいるから恵まれてるなあ……。奈良のご歓談も捨てたものじゃなかった。ありがとう奈良。


そして最後は自分の理想と現実の推しとのギャップ。

これが一番身勝手な理由なんだけど、同時に一番大きな要因でもある。前の推し(某J事務所の某氏)から離れた理由はほぼこれが90%を占めてたと思う。

三次元の人間を推してるオタクは自分の中に"こうなってほしい"っていう推しへの理想が少なからず存在するから推してるんだと思う。だけどその理想と推しの目指すものとかスタンスがかけ離れてたら応援できないというか、応援する理由を見失ってしまうんだよなあ。

かと言っていちオタクの理想を推しに押し付けることなんて出来るわけないから、それならやっぱり自分が適切な距離を保つのが一番だなあって。

 

とまあそんなこんなでオタクをすることに疲弊して距離をとってみたりするわけなんだけど、推しの引力ってなんでこんなに絶対的なんだろう。
絶対的だからこそ推しなんだろうけど、トークパートで絶望した後に歌声を聴いたら全部持ってかれるとか、声を聞いたらやっぱりどうしようもなく好きだとか、もう感情に思考が追いつかないから勘弁して。

ここ数日溜めてたメディアの消化をしてるのは、セカライと朗読劇で完全に引き戻されたときの罪悪感を最小限に抑えるための自己防衛本能が働いてるからなんだろうなあ。全力少年の全体曲が最高だし一斗くんがやっぱり好きですありがとう。

とにもかくも推し変~~!!って騒ぐわりにいざ本当に推し変するの?って聞かれると口ごもってしまうのが全ての答えだなあと思います。

たぶんきっともう少し、オタクでいるんだろうな。

とりあえずセカライ楽しみだ~~