たとえばなし

偶像と結果論

お題箱お返事

2月ですね。早い。

好きなショコラトリーがいくつかある程度にはチョコレートが好きだったはずなのですが、ここ2、3年で全然量が食べられなくなった私です。

書きたい記事がいくつか溜まってるぞ〜という通常稼働な弊ブログなわけですが、一向に筆が進まないので前回先延ばしにしてしまったお題箱のお返事をしようと思います。

 

というわけで以下お返事です〜〜!

お心当たりの方は覗いていってやってくださいませ!

 

↓そして引き続き何かございましたら。

https://odaibako.net/u/xyxn_27

今年のおすすめのチョコレートとかでもいいです。

 

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神様の寿命の話

私には、神様がいる。

 

 

 

この話における神様は宗教的なものではなく、人によっては架空のキャラクターであったりはたまた実在する人間であったり、コンテンツそのものであったりするような、所謂偶像の話です。

全知全能の神なんかではないけれど、それでも私の毎日の世界を象って、色づけて、大気を動かしてくれる、私の神様。

愛し、愛され、救われ、与えられている。

大袈裟かもしれないけれどそんな風に感じながら、毎日を生きています。

 

神様の消費期限、寿命を、考えたことはありますか。

私は最近、よくそのことを考えます。

 

 

神様の寿命は、人や状況によって変わってくるものだと思います。

自分の気持ちが離れるのが先か、神様がいなくなってしまう(例としては展開が終わる、活動が停止する等)ことが先か。

中には神様がいなくなってしまっても、自分の中に在り続けるだけでいいという方もいるでしょう。でも私は、自分はそんなに強くないと、自分で思うのです。

 

「今から五年後、神様は神様のまま居てくれているだろうか」

そんな答えのない疑問が、日々頭に浮かんでは消えていく。 

 

私は永遠を信じません。

「ずっと」も「絶対」も有り得ない。

自分の感情にも、神様の存在にも。少なくとも確実にどこかに「終わり」はあって、今日という日にも神様とのお別れに少しずつ近づいている。

神様に恋をしているから、どんな別れがくるかなんて分かりっこない。あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまうだなんて、どこかの歌詞みたいなことを考える。

私は重ねてきた過去を数えることよりも、未来を数えることの方が怖いと感じてしまいます。

重ねてきた過去は愛おしい。けれどこれからの未来はどうしたって儚く見えてしまう。知りもしない「終わり」に怯えて泣くことは、きっと馬鹿げている。

私は永遠を信じないくせに「永遠」に憧れて、どうしようもなく焦がれているのです。

私にとっての絶対でいてほしい、永遠であってほしい。ずっとを約束してほしいし、今だけはそう思わせてほしい。私の特別でいてよって、身勝手なことを思ってしまう。

 

最近、私の神様はきっと余命五年くらいだなあと漠然と思うようになりました。

神様の今までや、自分の年齢。色んな要素を持って計算したときに、長くてもあと五年が限度だなと思い至ってしまった。短かれば恐らく、あと三年くらい。

たぶん、そのことが私は悲しくて、悔しくて、なによりもひどくさみしい。

でもだからこそ、私はいまの自分がいつかの自分を裏切らないことをしたい。

神様を信じ続けるためにできることを全部したい。少なくとも「今」を「最後」にしたくない。神様が人に戻るとき、汚い未練を残したくなんてない。

それが綺麗事だとしても構いません。

でもそれくらい、私の精一杯で想っているよ。

 

ただ願うのは、一日、一秒でも長く私の神様でいてほしい。

たった一つ、それだけなんです。

 

 

 

いつも以上に抽象的な言葉の羅列で申し訳ありません。

一応お話しておくと世界が揺れている今日ですが、そのこととは関係ありません。タイムリーだな、とは思ったけれど。

ここ数日の自分の感情メモということでご容赦ください。

お題箱の返信は次のエントリーでさせていただければと思っております。(10月に送っていただいていたものの通知がきておらず、先日拝読しました……。申し訳ないです)

 

↓何かございましたらこちらまで。

お題箱

初めて泣いた話とファンでいる理由の話

2019年1月12,13日の二日間。私は舞浜にいました。

その理由がこちら。

readinghigh.com

こちらの朗読劇に推しさんが出演するということでお邪魔してきました。

 

2017年の12月に上演された第一回公演にも推しさんは出演されていて、その時は一度しか観劇しなかったものの、舞台演出やキャスト陣の演技、そして生のオーケストラチームの演奏の衝撃が強く、とても印象に残っていました。

そして第三回公演である今公演のキャスト陣が発表された際のツイートが、今回どうしても劇場で観たいと思った決め手でした。

脚本・演出まで手掛ける方が、わざわざ推しさんの復帰を待ってまでその役をあてた理由が知りたかった。そこまで言わせる、言ってもらえる、推しさんの演技が見たかった。

しかも今回の演目はジャンヌ・ダルク伝説がモチーフ。私が大好きで大好きな題材。その上推しさん以外のキャスト陣も超超豪華な顔ぶれ。

そんなこんなで気づけば全公演のチケットを握りしめていました。脊髄反射でオタクするのやめようね。

 

 

簡単なストーリーとしては、ジャンヌ・ダルクは元々詐欺の天才で、所謂「ジャンヌ・ダルク伝説」は、当時の皇太子・シャルル7世やフランス王軍司令官であるリッシュモン大元帥を中心とした人々が、ジャンヌの詐欺の才能を利用し造り上げた作り話だった、というもの。

国に聖女として造り上げられ、そのまま異端審問で死刑となったジャンヌの復活を願うジル・ド・レと、そのジル・ド・レの周囲の人々が紡ぐ、痛々しくも愛おしい物語でした。

 

個人的に今回特筆しておきたいのはやっぱりジャンヌ・ダルク

某女性声優さんが演じていらっしゃったのですが、もう最高に理想のジャンヌだった。詐欺の天才であるという設定があるので、日常シーンでは「これがジャンヌ!?」と思わせるような発言だったりもするけれど、聖女モードに入った瞬間が本当に凄かった。

あまりに神々しく、気高い。指先から痺れていくように鳥肌が広がって、吸い込まれるような感覚すらしました。 

そんなジャンヌの台詞の中に、以下のようなものがあります。

嘘に命乗せなきゃ、嘘は嘘のまま。

人に命を懸けさせるならば、自らも命を懸けなければならないと。例え偽りであろうと、そこに命を乗せなければ嘘はただの嘘のままだとジャンヌは語ります。

私はこの台詞を"役者"が放つことに、一種の恐怖すら覚えました。

だってあまりにも切実で、どうしようもないほどにリアルだったから。

この台詞が、この演技が、このお芝居が。この朗読劇がこんなにも響くのは、間違いなく携わっている全ての人間たちが命を乗せているからなのだと思わされました。

他のキャスト陣の演技もなにこの贅沢な空間……というくらい珠玉のもので、演者の熱量にこちらが負けるという事態に陥りました。本当に体力の消耗が半端なかった。

落ち着いて見ようと思っていても気づけば身を乗り出してしまうほどに引き込まれる、そんな朗読劇でした。

 

 

さて、推しさんが演じていたラ・イルと呼ばれる人物は、ジャンヌ・ダルク軍士官、つまるところジル・ド・レの部下という立ち位置。普段は温厚そうに丁寧な振る舞いをしているものの、ラ・イル(フランス語で癇癪持ちの意)という渾名の通り、頭に血がのぼると激昂するという一面も。

そして元は戦争孤児でリッシュモン大元帥に拾われたという経緯もあり、物語の終盤では双方の間で揺れ動き苦しむという展開へと進みます。

 

私は今回の朗読劇で、初めて推しさんの演技に鳥肌を立て、そして涙を流しました。

今までも推しさんの演技を聞いて泣いたことはあったけれど、それは"推しさんがその演技をしている"という事象*1に泣いているのであって、演技自体に泣いたことってなかったんじゃないかな、と改めて思いました。

その辺の話は前にも書いた気がする。 

x1026.hatenablog.com

ただ大きな声を張り上げるだけではなく、そこの込められた激情だとか。零すように紡がれる独白だとか。

そういう様々な色や温度のお芝居を見た気がしています。声に、音に鳥肌が立って、気づいたら泣いているなんて、今までなかったなあ。何故今回そんな風に感じたのかまでは分からないけれど、そう感じた事実だけはここに残しておきたい。

毎度繰り返してしまうけれど、私は推しさんの負の感情のお芝居が好きです。

ピンと張られた感情の危うさと、それが緩んだ瞬間の脆さみたいな表現が好き。

そういう意味で、今回の役はいつかの私が"眺めていたい"と思った推しさんの演技、お芝居が見られた役でした。

 

でもそれはあくまで私の中の解釈であって、正直何故この役を「どうしても」と宛てられたのかは、今の私には理解しきれませんでした。

きっと作り手だからこそ感じ取る何かもあるのだろうし、私が掬いきれない推しさんの熱もある。

だから叶うなら、またこの極上の物語の中で、推しさんの演技の熱を感じてみたいです。 

 

 

 

 

↓以下雑記

年末に出た雑誌の中で、推しさんは「ファンから何を求められているのかが分からない」というようなことをお話していました。

いわゆるファンサービスみたいなこともしないのに何でファンでいるんだろう?みたいな話だったので、絶賛例のあの時のあれですね!という感じだったのですが(伝わらない人にはなにも伝わらない表現だなこれ)、個人的にはほんの少ししょんぼりしました。

私がこのインタビューを読んだのはちょうど先述の朗読劇を観た翌日だったのですが、何を求めてるも何も、ああいう演技を、お芝居を見たくてファンでいるんだよ、と。

綺麗事かもしれないけれど、ファンに対してどうこうよりも、企業に、業界に、世界に、知らしめてほしいんだよ、と。

朗読劇で推しさんのお芝居を聞きながら、この声で、この演技をしているところを見られるだけで充分なのにな、と思っていただけに、わりとショッキングな内容でした。へへ!

推しさんが是としないものを求めてしまっている自覚もあるけれど、何よりも声やお芝居、そしてお仕事に対する真摯さが好きで、眺めているだけなんだけどな。

まあだからといって、こんなこと言うなんてひどい!だなんて思わないし、むしろそんな風に考えさせてしまっているのは間違いなくこちら側の責任なので、申し訳ないなあとすら思います。だからこれで燃えないでね!お願い!

名前が売れてきた頃の、声優業の仕事量に見合わない露出が精神的にキツかったみたいな話もしていて胃痛がすごかった。当時のあれこれは本当に肌に合わなかったみたいなことを聞くたびに申し訳なさが募る。営業させてごめんね!!!!!!みたいな気持ちになる。落ち着きたい。もうお渡し会とか金輪際やめよう・・・?胃痛がすごい。

今年も推しさんをゆるゆる見てるんだろうなあ、と思った矢先にこのインタビューを読んで早くもすっ転んだ感がすごいのですが、それもまた私らしくていいかな、と。(よくはない)

踏んだり蹴ったり、同じことを延々と捏ねくり回して考えているだけの弊ブログですが、どうぞ今年もよろしくお願いします(拝)

 

↓何かございましたら!

お題箱

 

 

 

 

*1:ガンダムNTの前口上で死ぬほど泣く女