たとえばなし

偶像と結果論

過ぎ行く景色を胸に焼き付けたら、きっと昨日の自分に手を振って

今でこそ、若手声優厨と呼ばれる界隈に身を置いている私。ですがぽろぽろと記事の端々にも書き連ねているように、元々は某J事務所のオタクでした。今回はそんな前の推し、基、元担の話を少し。

なんか怒涛のように更新してるけど、たぶん今アウトプット期なんだと思う。

 

私はこれまでの記事でも、彼のことを"元担"という表現をしています。

でも、ちょっとその表現に違和感を感じるのも事実で。それは何故かと言えば、今あの事務所に出戻るとしても絶対に彼の担当として戻る確信があるし、最後の担当だって今でも思ってるからです。

じゃあなんで上がったの?と聞かれれば答えは簡単で、たぶん「疲れたから」。
この答えが一番的確だと思います。

私が彼の担当でいた時間は言うほど長くはなくて、確か多めに見積もって4年くらい。入所からずっと追いかけてきたのが当たり前というあの界隈で、私は間違いなくぽっと出の新規で、彼のそれまでのアイドル人生の何も知らないオタクでした。

それでもあの4年間(きちんと熱量を持って追いかけていたのは2年半くらいだったような気もする)は、彼にとっても激動の時期だったと思うし、私のオタク人生でもいちばん煌いてたって今でも思っています。っていうかもう詳細な時期が曖昧になってきてるから調べるために今wikipedia先生を開いたんだけど、彼もう30になるんですか。30。30て!見えないねえ!!

あの頃も私は今とそう変わらず、理屈を捏ね繰り回しては自分のプライドを裏切らないようにオタクをしていたので、きっとそんな自分に疲れてしまった面もあって。でも何より彼や彼を取り巻く環境・状況に疲弊して、そっと現場や界隈、アイドルである彼自身から離れたんですよね。

私はいわゆる個人担で、後から好きになったっていうのもあったからかなあ……。正直、彼が所属しているグループにそこまで愛着はありませんでした。むしろ、好きじゃなかったんだと思う。 特別仲が良いグループではなかったし、明らかに今喧嘩してるんだろうな~……と思うときもありました。

担当のグループ内での立ち位置がどんどん下がることに不満を抱いていたし、グループ仕事よりも個人仕事のほうが好きだった。別ユニットのメンバーとの仕事で、この面子でデビューしたほうが担当のためだよな、なんて考えたこともあったなあ。

無事にデビューしてからも、思うことはたくさんあって。

手の届く範囲のオタクばっかり大事にすること。昔からのファンも大事だけど、新しいファンはそれじゃ増えないよって思ったこと、何回もある。

そんなふうにずっと何処かで感じていた、自分の理想と現実とのズレが、どんどん大きくなっていったんですよね。


デビューして、少し経ったくらいだったかな。どう考えても情でデビューさせてもらって、ライバルユニットなんて言われてたグループはどんどん世間の評価を得て行く中、鳴かず飛ばすの深夜番組内で誰かが言った「今、俺たちすごい良い感じじゃない?」の一言。

それを聞いて、ああもうだめだって思ってしまった。目の前が真っ暗になった気がした。

今思えば、デビューして一年もしないうちのそんな一言、なんの重みもなかったのかもしれない。むしろやっとの思いでデビューして、これからだぞっていう意味で言ったのかもしれない。

それでもこの一言が許せなくて、悔しくて、悲しかった。

なんで現状に満足してるの?もっともっと上を目指してほしいのに、なんでこんなところでそんなこと言うの?

そう思ったら、もうだめだったなあ。

 

それでも、私は彼のことが本当にだいすきでした。

丸くて甘い歌声も、少し癖のあるダンスも。
拘りを持って選びすぎて、少し伝わりにくい言葉も。
目を見てオタクの話を聞いてくれるところ、ありがとうの言葉の色や温度。舞台上でお辞儀しながら合わせる両の手とか。

メンタルでパフォーマンスにムラが出るところ、プロなのにって思うこともあったけど、心配してた回数の方が多かった。歌うパートが減ったとき、あからさまに顔をカメラから背けてたこともあった。イヤモニとかマイクトラブルがきっと一番嫌いだったよね。直接聞いたことはないので私の予想でしかないんですけど……。

デビュー前、急にTVに出なくなって、現場にもいなくなったとき、過呼吸になるくらい泣いたこともありました。レギュラー番組もいきなり違う子出てきたことに焦って。真っ赤なステージに他のメンバーがいるのに、彼だけが居なかったMステのバック、今でも鮮明に覚えてる。

いっぱいお手紙も書きました。事務所には月3通、現場用はいつでも足せるようにストックは常に2、3枚。別に、読んでくれてなくてもよかった。中身のないことばかり書いてたし、何より事務所へのアピールでしかなかったから。

学生だったから今よりもお金がなくて、それでも自分に出来ることをしようと思って、がむしゃらにオタクしてた。自分の損得なんて本当にどうでもよくて、ただただデビューしてほしくて、顔見知りの同担さんに嫌われる覚悟で無茶もした。

誰よりもきらきらしているところを、出来るだけ近くで見てたいなって思ってた。

デビューする一年前、「これからも転がって行くのでついてきて下さい」って言ってたね。

デビューイベントの会見で言ってた、「星は誰かに見つけてもらって初めて星になれるから、出来るだけたくさんの人に見つけてもらえる星になりたい」って言葉、すごくすきだった。らしいなって思ったし、そんな風にたくさんの人に見つけてもらえるくらい、でっかい星になってほしかった。

ステージの上で歌って踊る、きらきらしたお星さまみたいな彼が、だいすきでした。

 

 

そんな彼が、今年デビュー5周年を迎えたそうです。

もう5年、まだ5年。

今もまだ応援していたら、きっともっと感慨深かったんだろうなと思います。

あの頃私に優しく接してくれた同担のお姉さんたちは、きっと今も彼のことを応援しているのでしょう。去年、一昨年だったかな。有楽町でお見かけしたこともあります。お元気ですか。こんなところ、辿りつかないと思うけど。

ここ1年で彼らのポスターを街中で見かけることが、グンと増えました。ついこの間も、駅の地下道、ラッピングバス、CDショップの大モニター、色んなものが目に飛び込んできました。

オタクから、未練のある元オタクになって、ファンとも呼べない一般人になって。他の人のオタクをしながらも、元気が出ないときに聞くのは決まって彼のソロ曲で。

そんな私が街中で彼の欠片を見つけることは、広い空の中で光る星を見つけることになってるのかな。

でも、声優オタクをやってる元オタクが、またその星を見つけられるくらいの輝きがそこにあるのかな、なんて偉そうに思いもする。

 

たぶんもう、彼のオタクに戻ることはないと思う。

彼のオタクとして出来ることは、当時の私が全部してくれたはずだから。なんの意味もない、ダメなオタクだったけど。

きっと本当に嫌気が差したのは、担当でもグループでもなくて、こなくそって踏ん張れなかったあの頃の自分で。未練に隠れてたのは、私が手放した輝きを今でも変わらず見つめ続けてる人たちへの嫉妬心だ。

でも、この間今の推しさんを見て気付いたみたいに、ただ好きなだけでも許されるなら。身勝手なファンとして、でもいいなら。

一回くらい、今のあなたを見に行きたいと思うようになったよ。

ずっと目を逸らしてきた輝きと、向き合ってみたいと思うようになったよ。

見つめ続ける勇気がなくて手放した輝きを、ただ遠くから眺めて、ほんの少し浴びるだけならいいかな。きらきら輝く星を見つけておきながら放り出した償いは、きっと出来ないけど。

でもあれから数年経って、やっと"過去"にすることが出来たんだと思う。私の中でデビュー5周年っていう文字が、なんとなくあの頃の自分との折り合いを付けてくれたんだと思う。

私の知らない彼が、たくさんいること。それがもう当たり前で、仕方のないことだって諦められるだけの時間が経ったから。

通り過ぎた季節、見過ごした景色。そんな全部を目に焼き付けることが出来たなら、あの頃の自分に本当の意味で「がんばったよね」って言えるかな。

それでまた、「この人が好きなんだ」なんて素知らぬ顔で言ってもいいかな。

今もまだ、すきだなって思う気持ちは嘘じゃないから。

 

 

 

なーんて、見計らったように今年のツアーがみんな大好き横アリで平日公演なの、どうかと思う。

あと、この記事を読んだ現担当さんやら同グループ担さんに殴られる覚悟は出来てます、本当に申し訳ございませんでした。

それでも、ちゃっかり横アリに行ってたら笑ってやってください。

推し被りとかオタクスタンスとかの話

当方、面倒なオタクです。

推しの仕事に対する理想も無駄に高い自覚はあるし、推し被り……便宜上この記事では同担という言葉を借りるけれど、同担さんに対して拒否という拒否もしないけれど歓迎します!とも言えないオタクです。

あと何より頭でオタクをするタイプなので、感情が付いて行かなくてよく困惑する。

今回はそんな同担さんに対するあれこれや、そこから派生するオタクをするスタンスについてつらつらと。自分の感情整理も兼ねて。

 

 

私は、今の推しさんの現場に行っても周りのことをあまり見ていない、と思います。

現場には推しさんのお仕事を見せてもらいに行っているという感覚なので、そこにいる同担さんとかにさほど興味がないんですよね。

某J事務所を追いかけていた頃は、わりと過激な同担拒否をしていた時期もありました。他の子にファンサしてるのを見たら凹んだし、良席で入ってもファンサがもらえなければがっかりしたこともあった。他のファンの子との扱いの差になんで!?平等にしてよ!って思ったこともありました。元担の一個前の担当くんのときの話です。

今の推しさんは声優だからファンサは仕事に含まれないし、そもそもファンサとかするようなタイプじゃないからなのかなあ。他の子が良対応されててもあまりなんとも思わないですね…。そもそもそんな場面を見かけることのほうが少ないというかほぼないけど……。(空中ファンサでたまたま目が合うのは個レスではない派)

所謂同担拒否って、比べる相手がいるからこそ成り立つというか、やっぱり負けたくない相手がいるから出来ることなのかなあって最近思います。

他のファンの子と推しのやりとりに嫉妬したくないから。自分は特別だと思いたいから。誰にも自分の"好き"を否定されたくないから。色んな同担拒否の理由があるだろうけど、どれも正当な動機だよね。


接近戦での推しとの会話も、相手にとっては何百というやりとりの中の一つにすぎないと思ってるから、それに固執することもあまりないです。自分だけに向けてくれた言葉だとか、表情だとか、そういう受け取り方をしてないっていうのが大きいのかな。推しさんや担当がおめめを見て話を聞いてくれるだけでお砂糖だ〜〜!って真面目に思ってます。

基本的に板の上できらきらしていてくれる推しや担当がすきなだけなので、自分に対する相手からの個人的なリターンを重視してないタイプのオタク。

推しと自分との思い出なんてものは存在しないし、接近戦の時にしか伝えられない直接の感想も、ある意味壁打ちと変わらないとすら思う。

でも別にそれは推しさんが悪いんじゃなくて、自分がオタクをしていく上で取るに足らないことなんですよね。

そもそも、イベントでのオタクへの良対応なんて仕事の範囲外じゃないですか。義務じゃない。義務なのは対応までで、その質をオタクが要求するのはお角違いというか。ただ対応してもらえるだけで十分な対価だ!

推しさんが言葉を返してくれようとくれなかろうと、ファンサがあろうとなかろうと、それだけで好きじゃなくなるなら最初から推してないし。

私が"推し"とか”担当”っていう枠に誰かを当てはめるとき、それはその人を応援したいと思うかどうかなので、そんな見返りありきで"応援"はできないでしょう、っていうのが持論。

応援することと、好きを主張するのはまったく別物で。

ただ好き!って声を上げることや、どんなに現場に通っていようと推しのことを自己顕示欲や自己承認欲求を満たすための道具にしているのは、応援していることにはならないと思ってる。他のオタクのマウントを取るためみたいなオタクの仕方は見ていて気持ち良くないから、私は好きじゃないです。

ドルオタ時代に知り合いのおねえさんが言っていた言葉で、「対タレントじゃなくて、対オタクでオタクをしたら終わり」という言葉があるのですが。

これを聞いた時にね、すごく感銘を受けたんです。対オタクでオタクをするってすごい言葉じゃない?自分のオタクとしての行動理由が他のオタクに起因するって、なんというかすごくオタクあるあるだと思う。

あるあるだけど、他のオタクのためにオタクするようになったらダメだなって。自分は自分とタレントのためにオタクをしよう、って小娘ながらに思ったのをすごい覚えてる。この言葉は今でも事あるごとに思い出します。戒めとして……。

対オタクにはならず、個人的な見返りは求めない。
そう、言う成れば、

オタクの愛はAgapeであれ。

これが今の私の基本スタンスです。

 

ただ、こういう風に考えてオタクをしている自分が正しい!そういう自分が好き!っていうところも正直少なからずある

だって、叶うならいつだって優良オタクでいたいじゃん!

少なくとも推しにとってマイナスになるオタクになりたくない。推しにとってマイナスにならないオタクでいるために、認知やファンサは必要ない要素だから。

推す対象がファンサマシーンタイプだったら話は別かもしれない。それに、もはや現場ガッツでもイチ付きの古参でもないからこう思えるのかもしれない。実際、今推しさんの接近に行って、万が一にも「初めまして」って言われたらさすがに泣いちゃうかもとは思う。いや泣かないかな……やっぱりなって思って終わるかもしれない……でも少なからずショックだとは……思う…たぶん……基本期待ということをしないからわからないな……

ただ根底に置いているスタンスがこういう考えなので、他の同担さんと自分を比べることがまず少ないんだと思います。

比べない=張り合わない=拒否する理由が一つ減る。この方程式が成り立つんだなあ。納得。

それでも、"すき"っていう感情に共感はしてほしいけど、共有はちょっと難しい。

これは何のオタクをしていても付いて回る私の自己認識です。

同じ人を見ていても、違う面、違う角度で見てたら解釈違いが起きて疲れる。

だから、この"共有"が難しくて、同担さんのおともだちはすごく少ないです。

今の推しさんに関して言えば、この雑誌の写りはどうだとか、好きな女性のタイプはどうだとか、彼女はいるのかいないのか、(外見的な意味で)ここがかっこいい、あそこがかわいい、みたいな話に興味が湧かないんですよね。演技とか、舞台上での推しさんのお話をさせてほしい。

何より、私みたいに理屈を捏ねくり回してるようなオタクの話を聞いてくれる同担さんは奇特なのではないでしょうか……。盲目になりきれないタイプのオタクなので、推しさんのこういうところが嫌だ、みたいな話もするし。

なのでもっぱら他の若手声優さんを推してる子や、もう長年お世話になってる人とかにひたすら推しさんの話を聞いてもらってます。

でも他の人に推しさんはどう見えてるのかなーって気になることはあるので、ブログとかはたまーに巡回してます。基本的に人様のオタクとしての考察とか読むの好きなんですよ。不快にさせたら申し訳ないなあと思ってあんまり読者登録とかできないんですけど。

 

ここまでダラダラ書いてきてあれなんですけど、自分本当にめんどくさいですね。

好きなら好き!それでいいのになあ。

本当はただ推しさんのここが好き♡かっこいい♡みたいに気軽にハート飛ばせるくらいが丁度いいって分かってる。

推しにとって!オタクの質は!金を落とすか落とさないかの二つしかない!んだから、もっと気楽にオタクしたらいーじゃん、って自分が一番思ってます。ええ。オタクやめたい。

でも違うんだよ~~その好きの種類、形、温度、色のひとつひとつに自分のプライドとか美学とか、理性とか執着とか意地とか、きれいなものも汚いものも全部詰め込まれてるの。だってオタクなんだもん!

推しのことちゃんとした意味で好きかわかんない、でもなんだかんだ細く長く推しさんのお仕事を追いかけてる。それって全部推しさんのオタクだからっていう理由に起因するわけ。

オタクの推しに対する”好き”ってそんな単純なもんじゃなくない?

憧れとか羨望とか色んなものをごちゃまぜにしたカオスな塊でしょ!?

ただ好きなだけで自分の生活投げ打って時間やお金を割くなんてできないでしょって……思うんですけど如何ですかね…。

オタクって本当に小狡い生き物だと思います。

自分の夢を他人の夢とすり替えて、時には押し付けて。それが叶えば勝手に満たされた気分になって。自分はなんにもしてないのに。

そう頭では分かってても好きだな、応援したいなって思える人がどんどん夢を叶えていく姿を後ろからでも見ていることを辞められない。

自分が夢を叶えられなかった分を、推しに擦りつけてるのかもしれないってたまに思う。 そういう後ろめたさもきっとある。だからこそ私は私のプライドを裏切らないオタクの仕方を貫いていきたい。

わかる〜〜こういうこと考えてるところがもうめんどくさい。わかる。

でももう今の推しさんに対してかっこいい〜♡好き〜〜♡みたいなファンには戻れない。つらい。推しさんに対してかっこいい大好き!世界で一番すき!!って熱量を持って言えるタイプのオタク、羨ましい。

どうしていつも粗探しみたいになっちゃうんだろう。間違いなく私が私自身ですきになった人で、すきな気持ちに嘘はないのに、諸手を挙げて全部ひっくるめてだいすき!って言えない。ここがダメ、ここもダメっていうところばかり目についてしまう。

でもそういうダメなところよりも、好きなところの引力が強いからオタクなんだよ。

ファンじゃなくてオタクなんです。オタクって業が深い。

 

オタクやめられない問題ってクズ男から離れられないダメ女問題に似てる気がする。ハマってるのがホストじゃなくて推しでよかった。生きるのつらい。

 

簡単なことさ 「ABC」からやり直そう

さて。
一個前の記事にもあるように去る2017年6月17日、THE IDOLM@STER SideM GREETING TOUR 2017 〜BEYOND THE DREAM〜 石川公演に行ってきました。

今回もセカライに続きおともだちが一緒に行こうと誘ってくれたけれど、正直なところ本当に行くかどうするかギリギリまで悩んでました。

もうオタクをやめるかやめないか、数ヶ月ずっとぼんやりしていた私が多少の無理をしてでも石川に行ったことにはきっと意味があったと思うので、そんなこんなの覚書です。

 

 

オタクとしての心がバキバキに折れた、3月の某イベント。

推しさんのこのイベントでの振る舞いがどうしても受け入れられなくて、本当にもう、ただひたすら辛かった。詳しく……はないけどその時の記事がこちら。

x1026.hatenablog.com

丁度この頃はSNSで否定的な意見を見る機会も多くて、12月のイベントでの振る舞いももやもやするところがあって、その後にでた某CDでもキャラの声に違和感があったりして、私自身が疲弊してたのも事実で。

でもあの日、本当に全部わからなくなって、それまでのことも、それからのことも全部迷子になったんだよね。

そこからしばらくは本当に声優界隈から距離を置いていて、音源も聞いていなかったし、春アニメも見れるときに見たいものだけをぼんやり見ている状態で。行こうと思っていた4月のイベントは白紙に戻したし、主演だしさすがに行こうと思っていた5月のLIVEも蹴った。

そんな私に「石川は行こうよ、Beitだよ」って誘い続けてくれたおともだちはたぶん菩薩なんだと思う。別のおともだちも降りる降りないも石川行ってから決めるのでも遅くないんじゃない、って言ってくれて、あの本当に……幼稚園児か?私が。

そんな友人たちの後押しもあって、石川の参加を本格的に決めて。本当に少しずつiPodに入ってる曲を聴くようになったのがたぶん5月半ば。そして日にちが迫ってきてさすがに行き帰りの足を取らないと、って新幹線とバスの予約をしたのが6月頭。

当日の朝10時。金沢に着いた瞬間の私、ちょっと意味がわからなくて変な笑いが漏れる不審者。 物販を終えてお茶をして(金澤コーヒー最高に美味しかった)、会場に戻った私が発した言葉は「あ、無理 吐きそう」

いやだって伝わってほしいんだけど、三ヶ月ぶりの現場がMマスってヘビーじゃない?

今までどんなに現場の間が空いても一ヶ月とかだったし……例えるならそう、ずっとお粥を週に1、2回しかも2、3口だけ食べるような生活をしてきたところに、いきなりデミグラスソースのハンバーグを差し出されるみたいな所業。せめて和風おろしにして。

 

それだっていうのに、ライブパート開始10分もしないで泣き崩れるの、意味がわからないんだよなあ。

なんかもう、なんだろうね。ステージの上で ♪ Beyond The Dream を歌っているうめはらさんから目を離すことなんて出来なくて、一瞬でも目を離したくなかった。

私が歌って踊る推しさんを見て思い出すのは、やっぱり2015年2月7日。一番最初のミニライブ。
お世辞にも広いとは言えないステージで少し俯いて、目線も不安定で、歌いながら踊るのが本当に辛そうで、踊ってる間にどんどんマイクが口元から遠のいていっていた時のことをどうしても思い出してしまう。

だけど今じゃ、あの時のことのほうが嘘みたいで、その現実を目の当たりにする度に、この人はなんて人なんだろうって飽きずに思う。ああなるまでに、どれだけの葛藤があったんだろう。今の時代のある意味歪んでしまった"声優"っていう仕事を全うしてくれることが、申し訳なくてありがたい。

アイマスの名を冠した舞台の上で、前を見据えて誰よりも真っ直ぐに力強い声で歌う姿は、本当に格好良かった

しかもライブというかイベントの進行役をやるとは思ってなかったから、いつものMCより少し高めの声で、キャストを、会場を引っ張っていこうとするみたいな話し方で話すうめはらさんを見たらもう駄目だった。

間違いなくあの瞬間、私の目の前はきらきら輝いていて、「ああ、これを見るためにここまで来たんだ」ってすとんっと結論が落ちて来たんだよね。

ぎゅぅって心臓が痛くなって、涙がでた。
たぶん私がずっと見たかった推しさんが、そこにいたから。  
 

Dreaming night 踊りましょう
Baby, baby ここにおいで
最高の瞬間へとエスコート
準備は All right?

ースマイル・エンゲージ/Beit


石川でね、ここを聞いた時になんだかすごくしっくり来た。

うめはらさんを好きになって、応援するようになってからずっと感じてたことがあって。

それはオタクに出来ることなんて何1つなくて、この人は自分一人の力でどんどん前に進んでいくんだなっていうこと。

いちばん強くそれを感じたのは、声優アワードの新人賞を取ったときだったかなあ。

今までの私はオタクとしてのスタンスは"押し上げる"っていうことに重きを置いていたから、置いてけぼりというか、なんだろう、すごく身勝手で傲慢なことを言うけど、彼がやってきたことに対して自分が出来ることは何もないし、何もしてきてないなって漠然と思ったんだよね。

それはよく考えれば当たり前のことではあるんだけど、なんていうのかなあ……。アイドルとかってやっぱり"ファンと一緒に歩いてきた"みたいな様式美があるから、それが必要ない人なんだなあって。

だからなんかここの歌詞を聞いたときに、私が"ここ"に連れてきてもらったのかもしれないって思ったんだよね。別に今までの推しに対して自分がどこかに連れていったって思ったことはないけど、連れて行くんだって思っていたことはあったから。

でも、うめはらさんはいつだって想像の先を行く人だから、今までも色んな景色を見せてもらって、あの日のあの瞬間--"最高の瞬間"に連れてきてもらったのかなって。

なんかそう思ったら、少しだけ楽になった。別に頑張らなくていいのかもしれないとも思った。消費者なんだから、受け身でいいんだって思ったんだよね。


うめはらさんの声とお芝居、お仕事に対して真摯なところがすきで、応援してた。

ここ一年くらいの私は、応援っていう言葉を胸を張って使うことは出来ないけど、今はそれでもいいやって。一瞬でもすきだなって思えたら、それでいいやって思う。

私が彼をすきでいることは、うめはらさんの声優としての人生になんの得にもならないし、何も生み出しはしないけど、きっと邪魔もしない。今は、それでいいや。

いつもすきなものをうまくすきでいられなくて、大事にできなくて、そんな自分に疲れて諦めてしまう。でもグリツアの舞台で歌って踊るうめはらさんを見て、この人を諦めなくてよかったって思えたから、それが全ての答えだよなあ。

ただ、3月のイベントで湧いた感情も本物で、全部が全部ひっくるめてすきとは今はまだ言えないから、イベントも追うお仕事も少し選ぼうかなとは思ってます。

うめはらさんをすきな自分を守ってあげるために必要なことを、丁寧に選んでいきたい。

結局私は綺麗な推しが好きで、誰にも文句を言わせない推しがすきなんだと思う。
圧倒的な力を持ってオタクも、それ以外の第三者も黙らせてくれる推しがいい。

他人にも、自分でも、なんでこの人がすきなの?って思われたくないから。他人にすきな人を安易に揶揄されることが本当に嫌いだから、自分でもそんな風に辟易したくないっていう気持ちが強いのかもしれない。まあそれが神格化や美化に繋がって、それにまた疲れちゃうんだけど。

溢れ出るほどの好き!っていう熱量もない、推せて幸せ!みたいなオタク特有の身勝手な充足感も今はない。お気に入りのぬいぐるみを宝箱から取り出して見せびらかすみたいな、そういうオタクの仕方はもう向いてないのかもしれない。

でもきっと、嫌いになりたいわけじゃない。すきでいたいんだと思うから。すきだなって思える瞬間を大切にして、それを増やしていくことができたら、また何か変わるかもしれない。

そう思えただけでも本当に石川まで行った甲斐があったんじゃないかな、と……思うんですけど……情緒が不安定なオタク故本当に何かをすきでいるのが死ぬほど下手くそで困る。


とりあえず、すきでいられるためにできることを少しずつやっていこう。

カブキブ!の幕間も奇跡的に行けるし、S.Q.P.はコンテンツとして大好きだから楽しみ。星の王子様の朗読劇も、お休みが被れば行きたいな。

声と、お芝居がすき。だから、うめはらさんのことが好きだと思う。

そんなシンプルなことを、今は大切に握りしめておこう。